平戸市立生月小学校
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平戸市立生月小学校 | |
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北緯33度23分39.1秒 東経129度25分50.3秒 / 北緯33.394194度 東経129.430639度座標: 北緯33度23分39.1秒 東経129度25分50.3秒 / 北緯33.394194度 東経129.430639度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区生月里小学校 公立下等里小学校 簡易里小学校 尋常里小学校 生月尋常小学校 生月尋常高等小学校 生月国民学校 生月町立生月小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 平戸市 |
併合学校 | 生月町立生月小学校御崎分校 |
設立年月日 | 1875年(明治8年)2月8日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002008 |
所在地 | 〒859-5703 |
長崎県平戸市生月町里免3174番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
平戸市立生月小学校(ひらどしりつ いきつきしょうがっこう、Hirado City Ikitsuki Elementary School)は、長崎県平戸市生月町里免にある公立小学校。略称は「生月小」(いきつきしょう)、「生小」(いきしょう)。
生月島の中部に位置している。
概要
[編集]- 学校教育目標
- 「人間性豊かで、心身ともに健康で調和のとれた明るく、たくましい生っ子を育成する。」
- 校歌
- 作詞は益冨治保、作曲は寺崎良平(元長崎県立女子短期大学教授)による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞に登場しない。
- 校区
- 平戸市立生月中学校区。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年)2月8日 - 学制に基づき、永光寺の一室を借用し、「第五大学区第四中学区生月里小学校」が開校。
- 1882年(明治15年)4月1日 - 教育令の施行により、「公立下等里小学校」に改称。
- 1886年(明治19年)4月1日 - 小学校令の施行により、「簡易里小学校」(3年制)に改称。
- 1888年(明治21年)7月 - 生月島北部に御崎(みさき)分舎を設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、生月村立の小学校となる[1]。
- 1892年(明治25年)4月1日 - 「尋常里小学校」(4年制)と改称。
- 1893年(明治26年)4月1日 - 「生月尋常小学校」と改称。 御崎分舎を御崎分校とする。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 高等科を併置し、「生月尋常高等小学校」に改称[2]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令の一部改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「生月国民学校」に改称(初等科6ヶ年・高等科2ヶ年)。
- 1947年(昭和22年)
- 1951年(昭和26年)10月1日 - 現在地に第1・第4木造校舎を新築し、移転を完了。
- 1967年(昭和42年)1月31日 - 御崎分校に鉄筋コンクリート造校舎が完成。
- 1974年(昭和49年)3月9日 - 本校に鉄筋コンクリート造の校舎が完成。
- 1975年(昭和50年)
- 1982年(昭和57年)10月21日 - 運動場を改修。
- 1991年(平成3年)
- 2005年(平成17年)10月1日 - 生月町が平戸市に編入され、「平戸市立生月小学校」(現校名)に改称。
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 生月自動車(生月バス)「漁協前」バス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
[編集]参考資料
[編集]- 「生月町史」(1997年(平成9年)2月, 生月町郷土誌編纂委員会・生月町教育委員会)
脚注
[編集]- ^ 町制施行で生月町になるのは1940年(昭和15年)4月17日
- ^ 1915年(大正4年)10月23日発行の「長崎県大観:大典記念」(著:中川観秀、出版社:長崎新聞社)の中(p.301)ではすでに「生月尋常高等小学校」とある。(長崎県大観:大典記念 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー コマ番号174)