平川市立碇ヶ関中学校
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平川市立碇ヶ関中学校 | |
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北緯40度28分33.5秒 東経140度37分48.7秒 / 北緯40.475972度 東経140.630194度座標: 北緯40度28分33.5秒 東経140度37分48.7秒 / 北緯40.475972度 東経140.630194度 | |
過去の名称 | 碇ヶ関村立碇ヶ関中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 平川市 |
併合学校 | 民部平中学校 |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 民部平分校(1952年まで、1971年廃止) |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C102210001069 |
中学校コード | 020128 |
所在地 | 〒038-0101 |
青森県平川市碇ヶ関字三笠山100-2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
平川市立碇ヶ関中学校(ひらかわしりつ いかりがせきちゅうがっこう)は、青森県平川市碇ヶ関にある公立中学校である。
概要
[編集]平川市の南部、旧碇ヶ関村地区全域を学区とする中学校。主に平川市立碇ヶ関小学校からの児童が進学してくる。
校舎は旧碇ヶ関村の中心部にあり、さらに碇ヶ関中央保育園、碇ヶ関小学校と隣接しており、保・小・中の一貫した教育を行える環境にもある。この地域は内陸の山間部に位置しているため、1学年1学級の小規模校となっている。
生徒数
[編集]学年 | 1年 | 2年 | 3年 | 特別支援 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|
学級 | 1 | 1 | 1 | 0 | 3 |
生徒 | 11 | 7 | 12 | 0 | 30 |
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 民部平分校を設置する。
- 1949年(昭和24年)
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)
- 4月1日 - 民部平分校が独立し、碇ヶ関村立民部平中学校となる。
- 4月7日 - 校舎狭隘の為、職員室を碇ヶ関小学校校舎に移転。
- 1953年(昭和28年)4月5日 - 更に校舎が狭隘となった為、碇ヶ関小学校の教室を借用し、職員室を旧に復す。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)4月5日 - 新校章により、帽章及びバッジを作成する。
- 1957年(昭和32年)6月16日 - 文部省(現ː文部科学省)の産業教育研究指定校となる。
- 1962年(昭和37年)9月26日 - 6教室増設新築校舎完成。
- 1963年(昭和38年)4月15日 - 体育館の落成式挙行。
- 1967年(昭和42年)5月1日 - 牛乳給食開始。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 民部平中学校を統合する。民部平中学校学区から通う生徒は、バス輸送。
- 1979年(昭和54年)9月1日 - 隣接の碇ヶ関小学校新築移転に伴い、前庭グラウンド新設。
- 1990年(平成2年)
- 1997年(平成9年)
- 2006年(平成18年)1月1日 - 町村合併により、平川市立碇ヶ関中学校と改称。
- 2011年(平成23年)3月 - 太陽光発電システムが完成し、稼働。
- 2015年(平成27年)
- 2022年(令和4年)4月1日 - 平川市立碇ヶ関小学校との小中設置校となる[3]。
生徒数の推移
[編集]生徒数(人) |
1947年 | 133 | |
1957年 | 362 | |
1967年 | 311 | |
1977年 | 243 | |
1987年 | 176 | |
1997年 | 116 | |
2006年 | 91 | |
2010年 | 69 |
部活動
[編集]運動部
[編集]文化部
[編集]学区
[編集]旧碇ヶ関村全域[5]
周辺
[編集]アクセス
[編集]参考資料
[編集]- 『碇ヶ関中学校五十周年記念誌』((碇ヶ関中学校)五十周年記念事業協賛会・1997年9月13日発行)83頁~92頁「学校沿革史」
- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 中学校」912頁~913頁「碇ヶ関中学校」
外部リンク
[編集]脚注
[編集]- ^ Gaccom -平川市立碇ヶ関中学校(生徒数)-より抜粋。
- ^ a b c d 碇ヶ関中学校ホームページ内 -学校案内-
- ^ 碇ヶ関小学校沿革(三笠っ子通信教育・学校エキサイトブログ)
- ^ 平川市ホームページ内 -中学校-[リンク切れ]より。
- ^ a b c d e Gaccom -平川市立碇ヶ関中学校-