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幡龍洋賢三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

幡龍洋 賢三(ばんりゅうなだ けんぞう、1937年5月3日 -没年不明 )は、青森県北津軽郡板柳町出身[1]出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は三戸 賢三。173cm、83kg。最高位は西十両17枚目。得意技は左四つ、寄り、下手投げ。

経歴

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1953年5月場所に初土俵。1963年11月場所に十両昇進するも3勝12敗と大敗して翌1964年1月場所に幕下陥落。1964年5月場所に十両復帰を果たすも、またしても4勝11敗と大敗して翌7月場所に幕下陥落。1965年5月場所に28歳で廃業。前捌きが巧く、右前褌を取って左四つで寄るか下手投げを打つ取り口だったが、軽量だったこともあって十両では通用しなかった[2]

主な成績

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  • 通算成績:242勝241敗11休 勝率.501
  • 十両成績:7勝23敗 勝率.233
  • 現役在位:64場所
  • 十両在位:2場所
  • 各段優勝
    • 幕下優勝:1回(1959年5月場所)
    • 三段目優勝:1回(1962年1月場所)

場所別成績

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幡龍洋 賢三
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1953年
(昭和28年)
x x 新序
2–1 
x 西序二段48枚目
5–3 
x
1954年
(昭和29年)
東序二段27枚目
1–7 
東序二段34枚目
4–4 
東序二段31枚目
6–2 
x 西序二段9枚目
5–3 
x
1955年
(昭和30年)
西三段目64枚目
5–3 
東三段目39枚目
5–3 
東三段目23枚目
5–3 
x 東三段目8枚目
5–3 
x
1956年
(昭和31年)
東幕下57枚目
4–4 
西幕下55枚目
1–7 
東幕下67枚目
2–6 
x 東三段目3枚目
4–4 
x
1957年
(昭和32年)
東三段目筆頭
4–3–1 
西幕下68枚目
7–1 
西幕下42枚目
4–4 
x 西幕下42枚目
3–5 
西幕下48枚目
5–3 
1958年
(昭和33年)
西幕下40枚目
3–5 
西幕下43枚目
4–4 
西幕下43枚目
5–3 
東幕下36枚目
6–2 
東幕下27枚目
2–6 
西幕下42枚目
3–5 
1959年
(昭和34年)
西幕下52枚目
3–5 
西幕下56枚目
4–4 
東幕下55枚目
優勝
7–1
西幕下25枚目
4–4 
東幕下25枚目
2–6 
西幕下35枚目
6–2 
1960年
(昭和35年)
西幕下22枚目
5–3 
東幕下17枚目
3–5 
東幕下22枚目
5–3 
東幕下11枚目
1–6 
東幕下25枚目
3–4 
西幕下28枚目
5–2 
1961年
(昭和36年)
西幕下20枚目
2–5 
東幕下31枚目
3–4 
西幕下39枚目
2–5 
西幕下56枚目
3–4 
西幕下63枚目
3–1–3 
東幕下68枚目
休場
0–0–7
1962年
(昭和37年)
西三段目2枚目
優勝
7–0
西幕下36枚目
3–4 
東幕下37枚目
5–2 
西幕下23枚目
6–1 
東幕下11枚目
4–3 
西幕下5枚目
5–2 
1963年
(昭和38年)
西幕下筆頭
2–6 
西幕下8枚目
3–4 
西幕下10枚目
4–3 
西幕下6枚目
4–3 
東幕下3枚目
5–2 
西十両18枚目
3–12 
1964年
(昭和39年)
西幕下6枚目
4–3 
東幕下3枚目
5–2 
西十両17枚目
4–11 
東幕下4枚目
2–5 
西幕下11枚目
1–6 
東幕下30枚目
2–5 
1965年
(昭和40年)
東幕下42枚目
2–5 
西幕下59枚目
6–1 
東幕下28枚目
引退
4–3–0
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 蟠龍洋 賢三(ばんりゅうなだ けんぞう)1953年5月場所 - 1956年9月場所
  • 幡龍洋 賢三(ばんりゅうなだ けんぞう)1957年1月場所 - 1965年5月場所

参考文献

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  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

出典

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関連項目

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外部リンク

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