布施安昌
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布施 安昌 | |
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生誕 |
1889年9月13日 日本 石川県 |
死没 | 1954年4月25日(64歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
布施 安昌(ふせ やすまさ、1889年(明治22年)9月13日[1] - 1954年(昭和29年)4月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1889年(明治22年)に石川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期卒業[1]。1936年(昭和11年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に独立守備歩兵第1大隊長に就任し[2]、1937年(昭和11年)8月に近衛師団司令部附となり[2]、東洋大学に配属された[2]。1938年(昭和13年)9月には武漢攻略戦で戦死した飯塚国五郎の後任として[1]、歩兵第101連隊長(第11軍・第101師団・歩兵第101旅団)に就任し[1][2]、武漢を攻略した[1]。1939年(昭和14年)9月に豊予要塞司令官に転じ[2]、1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級した[2]。
1942年(昭和17年)4月に歩兵第56旅団長(第13軍・第60師団)に就任し[1]、蘇州周辺の警備に当たった[1]。1943年(昭和18年)4月15日に留守第3師団兵務部長に転じ[1]、6月10日に第43師団兵務部長を経て[1]、1944年(昭和19年)1月に第41警備司令官(朝鮮軍・釜山要塞司令部)に就任し[1]、1945年(昭和20年)4月30日に予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。