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市橋秀彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
市橋 秀彦
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県飯塚市
生年月日 (1953-01-10) 1953年1月10日(71歳)
身長
体重
182 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手内野手
プロ入り 1970年 ドラフト1位
初出場 1974年9月20日
最終出場 1982年6月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

市橋 秀彦(いちはし ひでひこ、1953年1月10日 - )は、福岡県飯塚市出身の元プロ野球選手である。ポジションは投手内野手

来歴・人物

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九州工業高等学校では、エースとして1970年夏の甲子園県予選決勝に進出、博多工を降し選手権出場を決める。予選7試合で計75三振を奪い、本格派投手として注目された。甲子園では、1回戦で大分商小川清一と投げ合い、延長15回まで進むが力尽き1-5で敗退[1]

同年のドラフト会議で、近鉄バファローズから1位指名を受け、入団[1]。入団時はオーバースローの本格派だったが、2年目の秋あたりに、腰の回転がサイドスローに向いていると判断した投手コーチ・中原宏の指導で、サイドスローに転向。秋の教育リーグ「阪神、阪急戦」でテストした結果、スピードも乗っているうえに、制球力不足も解消されつつあった。アウトコースへ入る重い球質のストレートが決め球だった。シュートも武器。カーブはプロ入りしてから覚えた。大いに期待されたが、投手としての公式戦出場(登板)は1974年の1試合のみに留まった。

1975年オフに阪本敏三八重沢憲一との交換トレードで服部敏和永淵洋三と共に日本ハムファイターズへ移り、1976年シーズンから内野手に転向した[1]

1978年オフ、ファイターズから戦力外通告を受け、ロッテオリオンズに移籍。1982年には、5月末から7試合連続で三塁手、九番打者として先発出場。同年はプロ入り後の初安打、初本塁打、初打点を記録している。しかし同年限りで引退した[1]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1974 近鉄 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 10 2.0 5 1 0 0 0 1 0 0 1 1 4.50 2.50
通算:1年 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 10 2.0 5 1 0 0 0 1 0 0 1 1 4.50 2.50

年度別打撃成績

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O
P
S
1974 近鉄 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1981 ロッテ 5 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1982 18 24 21 3 5 0 0 1 8 3 2 1 1 0 2 0 0 7 0 .238 .304 .381 .685
通算:3年 24 29 26 3 5 0 0 1 8 3 2 1 1 0 2 0 0 8 0 .192 .250 .308 .558

記録

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  • 初登板:1974年9月20日、対日本ハムファイターズ後期12回戦(日本生命球場)、8回表から5番手で救援登板・完了、2回1失点
  • 野手として初出場:1981年9月26日、対日本ハムファイターズ後期12回戦(川崎球場)、7回表から一塁手で途中出場
  • 初先発出場:1981年9月26日、対日本ハムファイターズ後期13回戦(川崎球場)、7番・三塁手で先発出場、3打数無安打
  • 初安打:1982年5月23日、対阪急ブレーブス前期8回戦(出雲市浜山公園野球場)、永本裕章から単打
  • 初本塁打:1982年5月29日、対阪急ブレーブス前期11回戦(川崎球場)、6回裏に佐藤義則から3ラン

背番号

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  • 13 (1971年 - 1973年)
  • 11 (1974年 - 1975年)
  • 52 (1976年 - 1978年)
  • 38 (1979年 - 1982年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、49ページ

関連項目

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外部リンク

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