市原市立養老小学校
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市原市立養老小学校 | |
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北緯35度26分53.78秒 東経140度08分05.36秒 / 北緯35.4482722度 東経140.1348222度座標: 北緯35度26分53.78秒 東経140度08分05.36秒 / 北緯35.4482722度 東経140.1348222度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 市原市 |
設立年月日 | 1874年(明治7年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B112210004477 |
校地面積 | 32,083m2 |
校舎面積 | 2,957m2 |
所在地 | 〒290-0217 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
市原市立養老小学校(いちはらしりつ ようろうしょうがっこう)は、千葉県市原市松崎にある公立小学校[1]。文部科学省の学校コードはB112210004477、旧学校調査番号は121065[2]。
概要
[編集]市原市中部の三和地区に位置する[1]。大正時代に開校した歴史のある小学校で、2016年(平成28年)に開校100周年を迎えた[1]。
沿革
[編集]概歴
[編集]1873年(明治6年)に川在小学校と松崎小学校が開校した[1]。その後年、土宇小学校も開校している[3]。1909年(明治42年)に、これら3校がそれぞれ養老第一尋常小学校(旧磯ヶ谷尋常小学校)、養老第二尋常小学校(旧土宇尋常小学校)、養老第三尋常小学校(旧川在尋常小学校)と改称する[1]。この3校は1916年(大正5年)に統合され養老尋常小学校として開校、旧養老第三尋常小学校は養老尋常小学校川在分校となる[1]。1941年(昭和16年)には国民学校令により養老国民学校となる[3]。戦後の1947年(昭和22年)、学校教育法施行に伴って養老村立養老小学校となり、1955年(昭和30年)に三和町立養老小学校となった後、1963年(昭和38年)に現校名である市原市立養老小学校となっている[1]。その後、1973年(昭和48年)に川在分校が廃止された[3]。
年表
[編集]- 1916年(大正5年) - 養老尋常小学校として開校[3]。川在分校を設置[1]。
- 1941年(昭和16年) - 養老国民学校に改称[1]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 養老村立養老小学校に改称[1]。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 三和町立養老小学校に改称[3]。
- 1963年(昭和38年)5月1日 - 市原市立養老小学校に改称[1]。
- 1972年(昭和48年) - 川在分校を廃止[3]。
校則
[編集]校章
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校歌
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施設
[編集]敷地
[編集]敷地の詳細は以下の通りである[4]。
所在地 | 〒290-0217 千葉県市原市松崎820番地 |
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所有者 | 市原市 |
敷地面積 | 32,083m2 |
用途地域 | なし |
指定建蔽率 | 60% |
指定容積率 | 100% |
取得価格 | 487,835,000円 |
建物
[編集]棟番号 | 棟名称 | 構造 | 階数 | 延床面積 | 建築年 | 耐震 | Is値 | 備考 | |
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001 | 校舎-1 | RC造 | 地上3階建て | 2,761.00m2 | 1974年 | 旧基準 | 耐震工事済 | 0.74 | |
002 | 体育館 | S造 | 地上3階建て | 815.00m2 | 1978年 | 旧基準 | 耐震工事済 | 0.71 | |
003 | 校舎-2 | RC造 | 地上1階建て | 182.00m2 | 1974年 | 旧基準 | 不明 | 不明 | |
004 | 倉庫・物置 | RC造 | 地上1階建て | 67.00m2 | 2004年 | 新基準 | - | - | |
005 | 倉庫・物置 | S造 | 地上1階建て | 64.00m2 | 1975年 | 旧基準 | - | - | |
006 | 倉庫・物置 | 木造 | 地上1階建て | 41.00m2 | 1984年 | 新基準 | - | - | |
007 | 配電室・電気室 | RC造 | 地上1階建て | 14.00m2 | 1974年 | 旧基準 | 不明 | 不明 |
規模
[編集]2022年(令和4年)5月1日現在の学校規模は以下の通りである[1][6][7][8]。
児童数 | 69名 |
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学級数[注釈 1] | 8学級 |
通学区域面積 | 22.349km2 |
通学区域人口 | 3,159人 |
諸活動
[編集]児童会活動
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
部活動
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
年間行事
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
通学区域
[編集]通学区域内施設
[編集]通学区域内の主な施設は以下の通りである[9]。
中学校区
[編集]1947年度 - 1955年3月30日
1955年3月31日 - 1962年3月31日
1962年4月1日 - 1963年4月30日
1963年5月1日 -
隣接小学校区
[編集]アクセス
[編集]- 上総山田駅から徒歩16分
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 通常学級数と特別支援学級数の合計
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l “養老小学校基本情報”. 市原市. 2023年2月10日閲覧。
- ^ “市原市立養老小学校の学校コード | 文部科学省 学校コードに基づく学校コード検索”. “学校コード検索". 2023年1月7日閲覧。
- ^ a b c d e f 養老小学校沿革
- ^ a b “市原市公共施設カルテ学校教育施設”. 市原市. 2022年8月25日閲覧。
- ^ “市原市学校耐震化情報一覧表”. 市原市. 2023年1月1日閲覧。
- ^ “令和4年度市原市教育要覧”. 市原市. pp. 23 - 52. 2022年9月1日閲覧。
- ^ “市原市資料13”. 市原市. 2022年10月11日閲覧。
- ^ 防災アセスメント調査及び防災地区別カルテ作成業務『市原市地区防災カルテ』市原市、2009年3月1日。
- ^ a b “通学区域一覧”. 市原市ホームページ. 2023年2月24日閲覧。