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市原市立内田小学校

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市原市立内田小学校
地図北緯35度24分16.11秒 東経140度10分26.85秒 / 北緯35.4044750度 東経140.1741250度 / 35.4044750; 140.1741250座標: 北緯35度24分16.11秒 東経140度10分26.85秒 / 北緯35.4044750度 東経140.1741250度 / 35.4044750; 140.1741250
国公私立の別 公立学校
設置者 市原市
設立年月日 1873年明治6年)
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B112210004547 ウィキデータを編集
校地面積 15,009m2
校舎面積 1,896m2
所在地 290-0506
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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市原市立内田小学校(いちはらしりつ うちだしょうがっこう)は、千葉県市原市島田にかつて存在した公立小学校[1]文部科学省学校コードはB112210004547、旧学校調査番号は121073[2]。通称は内小(うちしょう)。2021年令和3年)3月31日をもって閉校した。

概要

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市原市南部の南総地区に位置する[1]。明治時代に開校した歴史のある小学校であるが、児童数減少によって市原市立牛久小学校と統合し、2021年(令和3年)3月31日をもって閉校した[3]

沿革

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概歴

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1873年明治6年)に石川小学校、高砂小学校、堀越小学校、奥野小学校が開校する[1]1887年(明治20年)に、これらの学校が統合して内田尋常小学校となった[1]1914年大正3年)に、新校舎が宿174番地8に完成する[1]。1941年(昭和16年)に国民学校令の交付により内田国民学校と改称した[1]。戦後の1947年(昭和22年)に学校教育法が施行されると、内田村立内田小学校となる[1]。1954年(昭和29年)には市町村合併によって南総町立内田小学校と改称した[1]。1965年(昭和40年)に、同年3月31日限りで閉校した南総町立内田中学校跡地に移転する[1]。1967年(昭和42年)には再びの市町村合併によって市原市立内田小学校となった[1]。2003年(平成15年)からは市全体の小中学校より3年早く2学期制を導入した[1]。その後は児童数減少が続き、ついに2021年(令和3年)3月31日をもって閉校となり、翌日より市原市立牛久小学校に編入となった[3]

年表

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  • 1873年(明治6年) - 石川小学校、高砂小学校、堀越小学校、奥野小学校として開校[1]
  • 1887年(明治20年) - 内田尋常小学校に改称[1]
  • 1914年(大正3年)3月1日 - 宿174番地8に新校舎が完成していて移転[1]
  • 1928年(昭和3年) - 木造校舎建築(現:内田未来楽校[1]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 内田国民学校に改称[1]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 内田村立内田小学校に改称[1]
  • 1954年(昭和29年)11月15日 - 南総町立内田小学校に改称[1]
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 前日限りで閉校した南総町立内田中学校跡地に移転[1]
  • 1967年(昭和42年)10月1日 - 市原市立内田小学校に改称[1]
  • 2003年(平成15年)4月1日 - 二学期制導入[1]
  • 2021年(令和3年)3月31日 - 市原市立内田小学校閉校[3]

校則

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校章

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校歌

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校歌についての情報は以下の通りである[4]

  • 作詞:勝承夫
  • 作曲:小林三千三

施設

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敷地

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敷地の詳細は以下の通りである[5]

所在地 〒290-0051 千葉県市原市島田20番地
所有者 市原市
敷地面積 15,009m2
用途地域 指定なし
指定建蔽率 60%
指定容積率 100%
取得価格 447,285,000円

建物

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敷地内の建物は以下の通りである[5][6]

棟番号 棟名称 構造 階数 延床面積 建築年 耐震 Is値 備考
001 校舎-1 RC造 地上3階建て 1,517.00m2 1981年 旧基準 耐震性あり 0.86
002 体育館 RC造 地上1階建て 716.00m2 1985年 新基準 耐震性あり 不明
003 校舎-2 RC造 地上2階建て 379.00m2 1991年 新基準 耐震性あり 不明
004 倉庫・物置 木造 地上1階建て 35.00m2 1969年 - - -
005 倉庫・物置 鉄骨造 地上1階建て 26.00m2 1997年 - - -
006 倉庫・物置 木造 地上1階建て 20.00m2 1985年 - - -
007 倉庫・物置 木造 地上1階建て 10.00m2 1969年 - - -

規模

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2020年令和2年)5月1日現在の学校規模は以下の通りである[7][8][9]

児童数 40名
学級数[注釈 1] 6学級
通学区域面積 不明
通学区域人口 不明

諸活動

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児童会活動

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部活動

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年間行事

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通学区域

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閉校前の2020年(令和2年)4月1日の時点では、以下の町丁字とその範囲を通学区域に指定していた 。

通学区域内施設

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通学区域内の主な施設は以下の通りである。

中学校区

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1947年度 - 1954年11月14日

1954年11月15日 - 1965年3月31日

1965年4月1日 - 1967年9月30日

1967年10月1日 - 1971年3月31日

1971年4月1日 - 2021年3月31日

アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 通常学級数と特別支援学級数の合計

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 市原市立内田小学校沿革”. warp.da.ndl.go.jp. 2023年2月27日閲覧。
  2. ^ 市原市立内田小学校の学校コード | 文部科学省 学校コードに基づく学校コード検索”. “学校コード検索". 2023年1月7日閲覧。
  3. ^ a b c 児童40人の内田小閉校へ 市原市牛久小と来春統合”. www.chibanippo.co.jp. 2023年2月27日閲覧。
  4. ^ 内田小学校校歌(アーカイブ)”. warp.da.ndl.go.jp. 2010年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
  5. ^ a b 市原市公共施設カルテ学校教育施設”. 市原市. 2022年8月25日閲覧。
  6. ^ 市原市学校耐震化情報一覧表”. 市原市. 2023年1月1日閲覧。
  7. ^ 令和4年度市原市教育要覧”. 市原市. pp. 23 - 52. 2022年9月1日閲覧。
  8. ^ 市原市資料13”. 市原市. 2022年10月11日閲覧。
  9. ^ 防災アセスメント調査及び防災地区別カルテ作成業務『市原市地区防災カルテ』市原市、2009年3月1日。 

関連項目

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