市谷亀岡八幡宮
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(市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮から転送)
市谷亀岡八幡宮 | |
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拝殿 | |
所在地 | 東京都新宿区市谷八幡町15 |
位置 | 北緯35度41分33.8秒 東経139度44分1.5秒 / 北緯35.692722度 東経139.733750度座標: 北緯35度41分33.8秒 東経139度44分1.5秒 / 北緯35.692722度 東経139.733750度 |
主祭神 | 誉田別命 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 文明年間[1] |
例祭 | 8月 |
市谷亀岡八幡宮(いちがやかめがおかはちまんぐう)は、東京都新宿区市谷八幡町にある八幡神社。
由緒
[編集]当神社は太田道灌が文明11年(1479年)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。当時は市谷御門の中(現在の千代田区内)にあった。しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地に移転[注釈 1]。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、神社が再興された。江戸時代には市谷八幡宮と称した[2]。境内には茶屋や芝居小屋なども並び人々が行き交い、例祭は江戸市中でも華やかなものとして知られ、大いに賑わったという。
明治に入り、神仏分離令により別当寺であった東円寺[注釈 2]が廃寺となり(1872年)、芝居小屋などは撤退し樹木が植えられかつての賑わいはなくなっていった。
1945年5月25日、空襲によって社殿は全焼し、神木であるクスノキも焼け落ちた。1962年に現在の社殿が再建される。参拝者は絶えることなく、地域の人々などから信仰されている。
祭神
[編集]境内社
[編集]文化財
[編集]- 軍配団扇 - 新宿区登録有形文化財(工芸品)[4]
- 太田道灌が奉納したという、軍配団扇(ぐんばいうちわ)。製作時期や奉納された年月は不明である。
- 銅鳥居 - 新宿区指定有形文化財(建造物)[4]
- 文化元年(1804年)に建造された、銅造の明神鳥居。額には播磨国姫路藩3代藩主酒井忠道の筆による「八幡宮」の3文字が記されている。総高は460センチメートルである。
- 力石 - 新宿区指定有形民俗文化財[4]
- 当神社に伝わる7個の力石。それぞれに重量や人名が刻まれている。
- 几号水準点(水鉢台座) - 新宿区登録有形文化財(歴史資料)[4]
- 茶筌塚
- 百度石
祭事
[編集]氏子地域
[編集]アクセス
[編集]- 市ケ谷駅より徒歩5分。
(表参道は、外堀通りから入る)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 新宿歴史博物館編集『新宿文化財ガイド(改訂版)』(財)新宿区生涯学習財団 2007年
- 東京市牛込区 編『牛込區史』東京市牛込区、1930年、545頁。NDLJP:1208578/372。
- “新宿区指定文化財一覧”. 新宿区. 2020年7月13日閲覧。
- 斎藤長秋 編「巻之四 天璣之部 市ヶ谷八幡宮」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、457-460頁。NDLJP:1174144/233。
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