巨勢有久
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時代 | 鎌倉時代末期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・采女正 |
氏族 | 巨勢氏 |
父母 | 父:巨勢有行 |
子 | 有岡、有義、久高、行忠 |
巨勢 有久(こせ の ともひさ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての巨勢派の絵仏師[1][2]。掃部介・巨勢有行の子。官位は従五位下・采女正。
経歴
[編集]正中2年(1325年)東寺の大仏師職となり、元弘4年(1334年)東寺西院の「両界曼荼羅」を描く[2]。他に興国5年/康永3年(1344年)東寺山門の「尊勝印陀羅尼本尊」を制作した記録などが散見されるのみで実際の作品は現存せず[2]。
系譜
[編集]「巨勢氏系図」『群書類従』による。