コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

左沢町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
左沢村から転送)
あてらざわまち
左沢町
廃止日 1959年8月20日
廃止理由 新設合併
左沢町漆川村大江町
現在の自治体 大江町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 山形県
西村山郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 135.46 km2.
総人口 7,800
国勢調査1955年
隣接自治体 寒河江市
西村山郡朝日町西川町、漆川村
東村山郡山辺町中山町
左沢町役場
所在地 山形県西村山郡左沢町
座標 北緯38度22分51秒 東経140度12分25秒 / 北緯38.38072度 東経140.20681度 / 38.38072; 140.20681座標: 北緯38度22分51秒 東経140度12分25秒 / 北緯38.38072度 東経140.20681度 / 38.38072; 140.20681
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

左沢町(あてらざわまち)は山形県西村山郡にあった。現在の大江町の東端にあたる。本項では町制前の名称である左沢村(あてらざわむら)についても述べる。

地理

[編集]
  • 山:大山、日光山、カラス丸山
  • 河川:最上川

地名の由来

[編集]
諸説あるが、主に人口に膾炙しているのは以下の説である。
  1. 宝暦年間に進藤重記によって編纂された地誌『出羽國風土略記』に拠る最上川の右岸を「こちらの沢」、左岸を「あちらの沢」と呼んだ(左沢市街地は実際に最上川左岸にあたる)ことからの転訛との説[1]
  2. 柳田國男に拠る、古語に樹木の日の当たらない側をアテと云い、転じて日当たりの悪い土地をアテと称したことに基づくとの説[2][注 1]。なお、柳田に拠れば「アテラ」「安寺」「阿寺」等、同音の地名は美濃以東日本各地に分布している[注 2]山中襄太は山形県内だけでも同音の地名を10箇所確認できるとする[3]
  3. 大正年間の鉄道旅行ガイド[4]が採取している、寒河江城から見て「あちら」方の渓谷と大江親広が呼んだことに因るとの説。
  4. 詩人の黒田喜夫等が唱えるアイヌ語起源説。黒田に拠れば、アイヌ語で「at‐e‐ra‐nay」は日本語で「オヒョウニレ・そこの・下方に・沢」となり、すなわち「楡の木のある所の下流の沢」となるという[5][注 3]

歴史

[編集]

重要文化的景観

[編集]

最上川舟運河岸として発展し、その背後にある自然環境農山村も含めた生活生業を示す景観が、「最上川の流通・往来及び左沢町場の景観」の名称で文化財保護法による重要文化的景観として選定されている。

交通

[編集]

鉄道路線

[編集]

地図

[編集]

出身人物

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ より正確には、柳田は「和訓栞」を引き、同書に「アテとは『樹木の日のあたる側』と説明があるが、自分が採取した俚言や通言に拠れば全く逆で日の当たらない側 との意味であり、かつ、全国各地の『アテラ』と称される集落を検分してみればすべて山の陰に位置していることが確認できるので、(和訓栞は間違いであり)自らのフィールドワークの結果の方が正当である」旨の主張をしている。ただし、当地の左沢は丘陵の南麓に位置し、南東に最上川と山形盆地が開ける日当たりの良い土地である。ところで、柳田は「地名は実際にその場に住んでいる者が付けるのが普通であり、自分達の住む場所を『あちら』などと称するのはありえない」と『出羽国風土略記』の説に多分に否定的である
  2. ^ 現在でも、安寺沢川(相模川水系秋山川支流)、阿寺川(木曽川水系木曽川支流)、阿寺川(豊川水系宇連川支流)、アテラ沢(鬼怒川水系男鹿川支流)をはじめ同音の川、沢また集落が日本各地に複数存在していることは確認できる
  3. ^ ただし、北海道アイヌ語でオヒョウの木は正確には「atni(アッニ)」であり、「at(アッ)」ではない。「at」は「オヒョウの樹皮」を限定して意味する語であり、それに「樹木」を意味する「ni(ニ)」が付いてはじめてオヒョウの木を意味する語となる[6]

出典

[編集]
  1. ^ 出羽國風土略記 巻之十(山形県立図書館蔵本版) (PDF)
  2. ^ 柳田國男『地名の研究』(pp.227-232、古今書院、1936)
  3. ^ 山中襄太『地名語源辞典』(校倉書房、1989年)
  4. ^ 安治博道・藤井友次郎・野田文六『新撰鉄道旅行案内』(p.1038、駸々堂旅行案内部、1923年)
  5. ^ 黒田善夫『一人の彼方へ』(pp.199-200、国文社、1979年)
  6. ^ 萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典(増補版)』(三省堂2002年

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]