コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

工藤明子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くどう あきこ
工藤 明子
本名 大出 明子
生年月日 (1944-01-01) 1944年1月1日(80歳)
出生地 日本の旗 日本東京都
職業 女優
ジャンル テレビ・映画
配偶者 大出俊
テンプレートを表示

工藤 明子(くどう あきこ、1944年昭和19年〉1月1日[1][2][3] - )は、日本女優。本名、大出 明子[1]。旧姓名は芸名と同じ[1][2][4][5]

東京都出身[1][2][3][4][5]東京都立竹台高等学校卒業[1][2][4]劇団民藝俳優教室出身[2]。田中プロモーションに所属していた[1][2]

夫は、俳優大出俊[1]

人物

[編集]

1962年、高校卒業と同時に東宝芸能学校に入学する[1]。東宝芸能学校の同期には歌手美川憲一がいた[4]

1963年に本格的な演技の勉強のために劇団民藝俳優教室に入り、1969年に劇団員となるが、1970年に民藝を退団する[1]

1970年に東映と契約して、『任侠興亡史 組長と代貸』(1970年)で鶴田浩二の相手役として本格的にデビューする[1]。以後も、『日本暴力団 組長くずれ』(1970年)、『関東緋桜一家』(1972年)などの仁侠映画で主に情婦役で出演する[1]。1973年の紹介記事では「大柄で派手な顔立ちのためにそのような役ばかり回るが、本当は平凡な娘役もやりたい」と述べている[5]

1970年代中盤よりテレビドラマに活動の場を移す[1]

大出俊とは1976年に結婚[1]。その時には彼の連れ子として大出真也がいた。

特技は、日本舞踊[2]モダンバレエ[2]

出演

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

舞台

[編集]
  • アンネの日記
  • 吉原炎上
  • 大阪純情物語

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本映画俳優全集 女優編』キネマ旬報社〈キネマ旬報増刊〉、1980年12月31日、266-267頁。 
  2. ^ a b c d e f g h 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、284頁。 
  3. ^ a b 工藤明子 - 略歴・フィルモグラフィー”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2017年3月15日閲覧。
  4. ^ a b c d 『福島民報』1969年9月21日付朝刊、8面。
  5. ^ a b c 『福島民報』1973年7月3日付朝刊、8面。

外部リンク

[編集]