コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

工藤好美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
工藤 好美
人物情報
生誕 (1898-01-26) 1898年1月26日
日本の旗 日本大分県佐伯
死没 1992年2月22日(1992-02-22)(94歳没)
出身校 早稲田大学
学問
研究分野 文学(英米文学)
研究機関 富山高等学校台北帝国大学名古屋大学神戸大学京都大学
テンプレートを表示

工藤 好美(くどう よしみ、男性、1898年1月26日 - 1992年2月22日)は、日本の英文学者

経歴

[編集]

1898年、大分県佐伯生まれ。第五高等学校種田山頭火を知る[1]。1924年、早稲田大学英文科を卒業。

卒業後は、千葉県立佐倉中学校(現:千葉県立佐倉高等学校)などで教えたのち、1926年に富山高等学校(現:富山大学文理学部)教授に就いた。土居光知の知遇を得て『享楽主義者マリウス』を訳した。1928年、台北帝国大学助教授となった。1930年から1931年まで、英米文学研究のためオックスフォード大学に留学を命じられ、帰国後教授となった。

敗戦後本土へ帰国し、1948年に名古屋大学文学部教授となった。1952年、神戸大学文理学部教授に転じ、奈良女子大学教授を兼任した。1957年、京都大学文学部教授に就いた。1961年に京都大学を定年退官。その後は青山学院大学教授、1966年からは東北学院大学教授、1969年からは東海大学教授として引き続き教鞭を執った。1974年に東海大学を退職。

研究内容・業績

[編集]

専門は英米文学で、主に19世紀イギリス文学を対象とした。20代でウォルター・ペイターの研究・訳書を刊行。戦後はジョージ・エリオットの主な作品を全訳し、難解で知られたヘンリー・ジェイムズ『黄金の盃』を本邦初訳した。

没後に、同じく英米文学者の土居光知との間で交わした書簡が公刊された[2]島田謹二矢野峰人とも終生の友人であった。

親族(妻の妹)の淀川郁子も英米文学者、翻訳家[3]で下記の共訳がある。

著作

[編集]
  • 『ペーター研究』京文社 1925
    • 改題『ウォオルタア・ペイタア』岩波書店 1927
  • 『コウルリヂ研究』岩波書店 1931
  • カーライル 英米文学評伝叢書』研究社出版 1938
  • 『文学論』朝日新聞社 1947
  • 『英文学研究』朝日新聞社 1948
  • 『叙事詩と抒情詩』南雲堂 1956、新版 1978
  • 『文学概論』南雲堂 1979
  • 『ウォールター・ペイター研究』南雲堂 1986
  • 『ことばと文学』南雲堂 1988
  • 『文学のよろこび』南雲堂 1989
  • 土居光知共著『無意識の世界 創造と批評』研究社出版 1966

訳書

[編集]
ジョージ・エリオットの訳書
  • 『牧師館物語』全3巻、ジョージ・エリオット淀川郁子共訳、新月社 1947-1948
  • 『フロス河畔の水車場』(世界文学全集) ジョージ・エリオット、淀川郁子共訳、河出書房 1950
    • 全集収録『世界文学大系85』筑摩書房
  • サイラス・マーナー』(世界文学全集) ジョージ・エリオット、淀川郁子共訳、河出書房 1955
    • 全集収録『世界文学大系85』筑摩書房
  • ミドルマーチ』(世界文学全集 30・31) ジョージ・エリオット、淀川郁子共訳、講談社 1975
  • 『ジョージ・エリオット著作集』1・2・4・5(淀川郁子共訳、文泉堂出版) 1994
上記の復刻版(全5巻)、順に「牧師館物語」、「フロス河の水車場 サイラス・マーナー」
 「ミドルマーチ」全2巻。なお (3) は 工藤昭雄訳「ロモラ」

資料

[編集]
  • 「佐伯の近代文学を彩った三人:阿南卓・加藤勘助・工藤好美」古川敬『佐伯史談』220, 佐伯史談会, 2012年, 20-27頁.PDF

脚注

[編集]
  1. ^ 山頭火は何度大分県にきたのか
  2. ^ 『土居光知 工藤好美氏宛書簡集』風呂本武敏 編(溪水社、1998年)
  3. ^ 後藤明生「追悼工藤好美氏・小伝」(研究社「英語青年」1992年6月号)