川松鍵三
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川松 鍵三(かわまつ けんぞう、1914年〈大正3年〉10月[1] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、拓務官僚。
経歴
[編集]愛知県出身[2]。第八高等学校を卒業[3]。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科試験に合格[3]。1940年(昭和15年)3月[2]東京帝国大学法学部法律学科[2]を卒業し、同年台湾総督府殖産局兼拓務省殖産局勤務となる[4]。ついで、総督府官房審議室に転じ、1941年(昭和16年)6月、地方理事官に進み、高雄州恒春郡守に就任し[5]、1942年(昭和17年)8月、台南州教育課長に転じた[4]。
戦後は、愛知県文書課長、愛知労働基準局労災補償課長、徳島県経済部長、同県商工水産部長、東京事務所長、兵庫労働基準局次長、奈良労働基準局長、大阪労働基準局次長、公共企業体等労働委員会事務局名古屋支局長を歴任した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『東京帝国大学一覧 昭和15年度』東京帝国大学、1941年。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。
- 『日本官界名鑑 第22版』日本官界情報社、1970年 。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。