川村曼舟
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川村 曼舟(かわむら まんしゅう、1880年7月9日 - 1942年11月7日)は、日本画家。京都市生まれ[1]。本名は万蔵[1]。
概要
[編集]山元春挙に師事し、1902年新古美術品展で三等賞、1906年京都市立美術工芸学校助教諭、1910年教諭[1]。1908年文展で三等賞、1916年「竹生島」で特選、翌年「日本三景」で特選、1922年京都市立絵画専門学校教授、1936年校長(兼美術工芸学校長)[1]。春挙門下四天王の一人と言われ、師の没後早苗会を主宰。1931年帝国美術院会員、37年帝国芸術院会員。邸宅は嵐山・渡月橋の付近にあり、現在は蕎麦屋などとして利用されている。
作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 出品展覧会 | 落款・印章 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
古都の春 | 絹本著色 | 1幅 | 199.6x114.5 | 京都国立近代美術館 | 1918年 | 第12回文展[2] | ||
蜑邨暮靄 | 絹本著色 | 1幅 | 201.3x114.5 | 京都市立芸術大学芸術資料館 | 1919年 | 第1回帝展 | ||
湘南影曇 | 絹本著色 | 1幅 | 86.2x116.7 | 滋賀県立近代美術館 | 1922年[3] | |||
東山春色之図 | 絹本著色 | 1幅 | 泉屋博古館分館 | 明治末期-大正中期 | ||||
牧牛図屏風 | 絹本著色 | 六曲一隻 | 152.0x356.0 | 島根県立石見美術館 | 大正時代 | |||
洋犬図屏風 | 絹本著色 | 二曲一隻 | 124.0x186.5 | 島田市博物館 | 大正-昭和時代[4][5] | |||
焼岳図 | 著色 | 1幅 | 大幅 | 京都市学校歴史博物館 | 大正期-昭和前期 | 元明倫小学校蔵 | ||
山岳登攀 | 絹本著色 | 1幅 | 164.5x70.5 | 滋賀県立近代美術館 | 1930年[6] | |||
十国峠 | 絹本著色 | 1幅 | 51.6x57.4 | 京都国立近代美術館 | 1935年頃[7] | |||
靹浦朝風 | 絹本著色 | 123.0x36.0 | 目黒雅叙園美術館 | 1936年 | ||||
神籬 | 70.5x61.5 | 知足美術館 | 1940年[8] | |||||
霧氷 | 絹本著色 | 額1面 | 124.0x147.0 | 京都市美術館 | 1941年 | |||
黎明富嶽 | 絹本著色 | 額1面 | 64.5x73.5 | 東京国立近代美術館 | 1942年 | 献納展[9] | ||
塩田夏晨 | 絹本著色 | 1幅 | 68.4x 86.2 | 滋賀県立近代美術館 | 1935年代(昭和10年代)[10] | |||
保津峡首夏 | 絹本著色 | 1幅 | 148x51 | 木下美術館 | 制作年不詳 | |||
芦ノ湖 | フジヤマミュージアム[11] |
脚注
[編集]- ^ a b c d 川村曼舟 東京文化財研究所 2019年11月19日閲覧。
- ^ 古都の春 - 独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索
- ^ 湘南影曇 _ 滋賀県立近代美術館
- ^ 日本画 - 島田市博物館
- ^ 島田市博物館編集発行 『島田市博物館収蔵品目録』 2006年3月30日、p.24。
- ^ 山岳登攀 _ 滋賀県立近代美術館
- ^ 十国峠 - 独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索
- ^ 川村 曼舟 _ 知足美術館
- ^ 黎明富嶽 - 独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索
- ^ 塩田夏晨 _ 滋賀県立近代美術館
- ^ 川村曼舟「芦ノ湖」 _ フジヤマミュージアム