川本増雄
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川本 増雄(かわもと ますお[1]、1885年(明治18年)2月21日[1][2] - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。郡山信用金庫専務理事[1][3][4]。
経歴
[編集]奈良県生駒郡郡山町大字洞泉寺町(現・大和郡山市洞泉寺町)に生まれる[2]。川本増蔵の長男[2]。郡山中学校を卒業する[注 1]。貸座敷業を営む[5]。遊廓改善等に奮闘努力する[2]。
郡山町会議員に7回当選する[1]。郡山信用金庫専務理事、奈良地裁調停委員、司法保護委員、郡山町農業会長をつとめる[4]。
人物
[編集]青年時代、非常な運動家で、特に野球の選手として活躍した[2]。趣味は書画、骨董、読書[2]。住所は奈良県生駒郡郡山町大字洞泉寺(現・大和郡山市洞泉寺町[3])。
家族
[編集]- 川本家
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 『奈良県年鑑 1960年』419頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『関西商工録並ニ人物誌』195頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月28日閲覧。
- ^ a b c 『日本金融名鑑 1962年版』625頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月1日閲覧。
- ^ a b 『奈良県年鑑 1955年』364頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月28日閲覧。
- ^ 『帝国信用録 第31版』奈良県7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 『関西商工録並ニ人物誌』関西毎日新聞社、1927年。
- 帝国興信所編『帝国信用録 第31版』帝国興信所、1938年。
- 大和タイムス社編『奈良県年鑑 1955年』大和タイムス社、1954年。
- 大和タイムス社編『奈良県年鑑 1960年』大和タイムス社、1959年。
- 日本金融通信社編『日本金融名鑑 1962年版』日本金融通信社、1961年。