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川本増雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川本 増雄(かわもと ますお[1]1885年明治18年)2月21日[1][2] - 没年不明)は、日本の実業家政治家郡山信用金庫専務理事[1][3][4]

経歴

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奈良県生駒郡郡山町大字洞泉寺町(現・大和郡山市洞泉寺町)に生まれる[2]。川本増蔵の長男[2]郡山中学校を卒業する[注 1]貸座敷業を営む[5]遊廓改善等に奮闘努力する[2]

郡山町会議員に7回当選する[1]。郡山信用金庫専務理事、奈良地裁調停委員、司法保護委員、郡山町農業会長をつとめる[4]

人物

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青年時代、非常な運動家で、特に野球の選手として活躍した[2]。趣味は書画骨董、読書[2]。住所は奈良県生駒郡郡山町大字洞泉寺(現・大和郡山市洞泉寺町[3])。

家族

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川本家

脚注

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注釈

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  1. ^ 学歴について、『関西商工録並ニ人物誌』には「明治三十六年四月郡山中学校を成績優等を以て卒業」とある[2]。『日本金融名鑑 1962年版』には「明治34、3 郡山中」とある[3]

出典

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  1. ^ a b c d 『奈良県年鑑 1960年』419頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『関西商工録並ニ人物誌』195頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月28日閲覧。
  3. ^ a b c 『日本金融名鑑 1962年版』625頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月1日閲覧。
  4. ^ a b 『奈良県年鑑 1955年』364頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月28日閲覧。
  5. ^ 『帝国信用録 第31版』奈良県7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月28日閲覧。

参考文献

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  • 『関西商工録並ニ人物誌』関西毎日新聞社、1927年。
  • 帝国興信所編『帝国信用録 第31版』帝国興信所、1938年。
  • 大和タイムス社編『奈良県年鑑 1955年』大和タイムス社、1954年。
  • 大和タイムス社編『奈良県年鑑 1960年』大和タイムス社、1959年。
  • 日本金融通信社編『日本金融名鑑 1962年版』日本金融通信社、1961年。