川勝広継
表示
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 彦治郎(通称)、左京亮 |
戒名 | 道伯(法名) |
墓所 | 京都府南丹市美山町今宮の光照寺 |
官位 | 豊前守 |
幕府 | 室町幕府 御家人 |
主君 | 足利義晴→足利義輝 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 | 父:下田広氏、母:某氏 |
兄弟 |
広継、下田光隆、下田朝政、 下田朝道 |
妻 | 正室:某氏 |
子 |
継氏、知氏、某(監物)、 某(喜内)、某(左馬丞) |
川勝 広継(かわかつ ひろつぐ)は、戦国時代の丹波国の武将。光照(みつてる)とも称した。本姓は秦氏で、秦河勝の後裔とされる。
生涯
[編集]丹波国の武将・下田広氏の子として誕生。家伝によれば、下田美作守広氏は秦河勝(広隆)より32代目の嫡流とされる。
川勝氏(下田氏)は丹波国桑田郡・船井郡内を知行し、室町幕府に仕えた。広継は桑田郡今宮に住み、12代将軍足利義晴、13代将軍足利義輝に仕えた。また、広継のとき川勝氏を称した。別説として『寛政重修諸家譜』には「下田を称し、後また川勝に復すといふ」とある。
後に北桑田郡美山町の市場村を支配して、京都北方に勢力を拡大するようになった。美山町静原の島城を本城とし、八木の守護代内藤氏、京北の宇津氏、篠山の波多野氏など、丹波国の勢力と対峙した。また、広継は菩提寺として桑田郡今宮に光照寺を建立した。没年不詳。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『寛永諸家系図伝(第14)』続群書類従完成会、1992年
- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年