コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

正法寺 (東松山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
巌殿山正法寺から転送)
正法寺

観音堂
所在地 埼玉県東松山市岩殿1229
位置 北緯36度0分5秒 東経139度21分44.5秒 / 北緯36.00139度 東経139.362361度 / 36.00139; 139.362361座標: 北緯36度0分5秒 東経139度21分44.5秒 / 北緯36.00139度 東経139.362361度 / 36.00139; 139.362361
山号 巌殿山(いわどのさん)
宗派 真言宗智山派
本尊 千手観世音菩薩(観音堂)
阿弥陀如来(本堂)
創建年 養老2年(718年
開基 沙門逸海
別称 岩殿観音
札所等 坂東三十三観音 第10番
七観音霊場(千手観音)
文化財 銅鐘(県文化財)
鐘楼(市文化財)
法人番号 6030005011414 ウィキデータを編集
正法寺 (東松山市)の位置(埼玉県内)
正法寺 (東松山市)
テンプレートを表示

正法寺(しょうぼうじ)は、埼玉県東松山市にある真言宗智山派寺院である。山号は巌殿山。坂東三十三観音の十番札所である。一般には岩殿観音[1]の通称で知られる。

本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか

ご詠歌:後の世の道を比企見の観世音 この世を共に助け給へや

歴史

[編集]

寺伝によれば養老年間に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し[2]鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した[3]。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。天正2年(1574年)に栄俊が中興開山となる。天正19年(1591年)に、徳川家康から寺領二十五石の朱印地を与えられる。

境内

[編集]

岩殿丘陵の最東端に位置し、物見山のすぐ隣にあるため、寺は急傾斜地を切り崩したような場所にあり、東方面にだけ開けている。また、多くの樹木に囲まれているので山寺の雰囲気を持つ。

観音堂
養老年間の創建と伝える。寛永天明明治と3回再建され、現在の建物は明治11年1871年)の火災により観音堂が焼失した為、翌年高麗村白子(現飯能市)の長念寺から移築されたものである。本尊の千手観音は、室町時代の作と伝えられる。
仁王門
表参道から石段を少し登った所にある「巌殿山」の額を掲げた門。左右には仁王像がある。右手に本堂がある。観音堂は、この仁王門から長い階段を登ったところにある。
銅鐘(梵鐘
元亨2年(1322年)に鋳造されたもので、外面に無数の傷が付いており、これは天正18年(1590年)に豊臣秀吉による関東征伐の際に、山中を引き回した時の傷だと伝えられる。
鐘楼
元禄15年(1702年)に比企郡野本村(現在の東松山市野本)の山田茂兵衛の寄進で建立されたと伝えられる草葺き屋根の建物で東松山市内では最も古い建造物として、東松山市有形文化財に指定されている。
六面幢
天正10年(1582年)に、正法寺の僧、道照が建立したもので、埼玉県史跡に指定されている[4]
判官塚
比企能員の孫である員茂が1218年頃、能員の菩提を弔うために岩殿観音の南東の地である南新井に塚を築いたもの。大東文化大学東松山キャンパス拡張工事に伴い、現在地に移転した。

文化財

[編集]
大イチョウ
  1. 東松山市の元日【平成28(2016)年】 - YouTube:東松山市公式YouTube
  • 大イチョウ (東松山市指定天然記念物)
  1. 正法寺の大イチョウ - YouTube:東松山市公式YouTube

参道

[編集]

仁王門から東にまっすぐに延びる表参道の両脇には家が建ち並んでおり、かつての正法寺と門前町の繁栄の面影を残しているが、実際に商店の建物のまま残っているのは丁字屋旅館(江戸時代から昭和初期まで営業していた)と向かいのうどん屋(2000年頃に丁字屋が運営していた)のみである。参道を歩くと屋号のある家がいくつか残っている。また、昔からの門前町となる参道のため車両の通行には適さない。参道に並行して南側に交通量の多い県道が通っているため、正法寺への参拝者もこの県道脇の駐車場から観音堂へ直接来る人がほとんどである。

交通アクセス

[編集]
鉄道・バス
参道を歩くには、上記のバスで物見山登山口バス停下車、こども動物公園前信号を右折、800m先を左折し、長く緩やかな坂道の参道を進むと仁王門に真っすぐに突き当たる。
自動車

前後の札所

[編集]
坂東三十三観音
9 慈光寺 (埼玉県ときがわ町) -- 10 正法寺 -- 11 安楽寺 (埼玉県吉見町)

参考文献

[編集]
  • 柴田常恵; 稲村坦元 編『埼玉叢書』 3巻、三明社、1929年。 全国書誌番号:46090061
  • 齋藤慎一「まぼろしの比企能員屋敷」『本郷』第66号、吉川弘文館、2006年、15-17頁、NCID AN1046456X 

脚注

[編集]
  1. ^ 新編武蔵風土記稿 巻之191 比企郡之6 岩殿村』内務省地理局、1884年、NDLJP:764006/27
  2. ^ 巖殿山千手觀世音菩薩來由略記(柴田常恵 & 稲村坦元 1929, pp. 278–280)
  3. ^ 正法寺にほど近い伝足利基氏館跡付近に比企能員の屋敷があったという指摘もある。(齋藤慎一 2006)
  4. ^ 正法寺六面幢 東松山市ホームページ

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]