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嶋村健太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
嶋村健太 (2018年撮影)

嶋村 健太(しまむら けんた、1966年10月12日 - )は、日本の元レーシングライダー、元レーシングドライバー。東京都港区出身。

1987年全日本ジュニア250ccクラス(二輪) シリーズチャンピオン。

生い立ち

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東京・芝浦で貿易会社を経営する[1]裕福な家の次男として生まれる。

中学二年の時に渋谷で観た草刈正雄主演の映画、「汚れた英雄」に影響を受けオートバイロードレースに興味を持つようになる。

免許取得後、高校生時代は学校から帰宅するとすぐに就寝して深夜起き出して国道20号線 大垂水峠へ向かい明け方まで走り回り、夜明け前に学校へ行くために帰途につくという生活を送る。

そんな生活の中、レーシングチーム MIRAGE 関東のスタッフと知り合い交流を深めるうちに峠通いからサーキットへと方向性が変わっていった。

理解のある父親と二人で、家のキャラバンをトランスポーターに筑波サーキット通いを始める。[2]

経歴

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1985年に二輪レースデビュー(ノービス 250クラス)。 1986年の年度半ばでMFJにより行われた、1986年度の開催済のノービスクラスのレースの予選通過者全員に対するジュニアクラスへの一斉昇格を行う特別措置で年度半ばでジュニアクラスへ昇格。1987年全日本ジュニア 250ccクラスでシリーズチャンピオンを獲得。

1988年に四輪へ転向。1992年には原田淳、吉川とみ子らと、ル・マン24時間レースに出場[3]

1994年にレースから引退。

戦績

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二輪 

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1985年

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二輪レースデビュー。(ノービス 250クラス)

1986年

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筑波選手権第1戦(ノービス 250クラス)で予選2位から優勝。[4] 年度半ばでMFJにより行われた、1986年度の開催済のノービスクラスのレースの予選通過者全員に対するジュニアクラスへの一斉昇格を行う特別措置で年度半ばでジュニアクラスへ昇格。[5]全日本ジュニア 250ccクラス第2戦以降のうちの3レースで入賞し39ポイントを獲得。年間ランキングで10位という結果を手にする。[6]

開催日 大会名 クラス   車種 エントラント 予選順位 最終結果
2月22,23日 筑波選手権 第1戦 N250 H-RS250R RT MIRAGE 関東 2 優勝
5月11日 全日本ロードレース選手権第5戦 筑波 J250 H-RS250R RT MIRAGE 関東 5
6月22日 全日本ロードレース選手権第8戦 筑波 J250 H-RS250R RT MIRAGE 関東 3
8月10日 全日本ロードレース選手権第9戦 筑波 J250 H-RS250R Team 東京R&D 4

1987年

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全日本ジュニア 250ccクラスで合計99ポイントを獲得してシリーズチャンピオンを獲得。伊藤真一が3勝したほかは[注釈 1]優勝者が固定せず入賞者も多く入れ替わるシリーズで安定した成績を残したものの、1度も優勝を記録しないままでの年間王座獲得であった。[5]

開催日 大会名 クラス   車種 エントラント 予選順位 最終結果
4月12日 全日本ロードレース選手権第2戦 筑波 J250 H-RS250R Team BLUE FOX 4 3
5月10日 全日本ロードレース選手権第4戦 筑波 J250 H-RS250R Team BLUE FOX 4 4
5月24日 全日本ロードレース選手権第5戦 菅生 J250 H-RS250R Team BLUE FOX 1[注釈 2] 3
6月7日 全日本ロードレース選手権第6戦 鈴鹿 J250 H-RS250R Team BLUE FOX 1 2
6月28日 全日本ロードレース選手権第7戦 筑波 J250 H-RS250R Team BLUE FOX 7 RT
8月9日 全日本ロードレース選手権第9戦 筑波 J250 H-RS250R Team BLUE FOX 9 3
9月13日 全日本ロードレース選手権第10戦 菅生 J250 H-RS250R Team BLUE FOX 8 5
9月27日 全日本ロードレース選手権第11戦 鈴鹿 J250 H-RS250R Team BLUE FOX 10 11
11月8日 全日本ロードレース選手権第12戦 筑波 J250 H-RS250R Team BLUE FOX 12 11

1987年度 全日本ロードレース選手権 ジュニア250クラス ランキング

順位 ライダー氏名 チーム名 車種 獲得ポイント
嶋村健太 KEN WOOD TEAM BLUE FOX H-RS250R 99
2 岡田忠之 テクニカルスポーツ関東Jr. H-RS250R 77
3 前山次夫 フライングドルフィン Y-TZ250 76
4 丸山浩 UPCレーシング H-RS250R 76
5 伊藤真一 クルーズレーシングチーム H-RS250R 74
6 中野三智郎 TEAM YDS Y-TZ250 72
7 種岡一吉 モリワキクラブ H-RS250R 71
8 近藤靖典 TEAM YDS Y-TZ250 65
9 新垣敏之 Team Le Mans Y-TZ250 50
10 山下芳比呂 CRAZY ARROW WORKS MUKAI Y-TZ250 49

四輪

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1988年

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前年シーズンオフの時点でこの年の体制が未定という事が一月発行の二輪誌のインタビュー記事に掲載される。[2]

結局A級昇格を果たしながら二輪から引退、四輪へ転向。シーズン途中の6月からFJ1600へ5戦出場。[7]

開催日 大会名 会場 クラス   車名 予選順位 最終結果
6月26日 SUGOビクトリーカップレース 菅生 FJ-A マナティMk6 17 DNS
8月21日 ハイランドゴールデンカップレース第2戦 西仙台 FJ1600-A マナティMk6 4 20
9月17,18日 SUGOグループA 300kmレース 菅生 FJ1600-A ドトールHSマナティMk6 9 11
10月22,23日 CHECKER GREAT30RACE '88東京プロダクションカーシリーズ6 筑波 FJ1600-B ドトールHSアラキMk6 19 24
10月30日 ハイランドゴールデンカップレース第3戦 西仙台 FJ-A マナティMk6 7 10

1989年

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全日本F3選手権(全8戦)に参戦。[8]

開催日 大会名 会場 クラス   車名 予選順位 最終結果
5月27,28日 フォーミュラジャパンレース 鈴鹿 F3 HI-SPORT ラルト RT32 VW [注釈 3] 20
7月1, 2日 筑波チャレンジカップレース第5戦 筑波 F3 ラルトRT32 (1組9位)[注釈 4] 13
7月29,30日 SUGO F3000 選手権レース 菅生 F3 ラルトRT32 [注釈 3] 20
8月19,20日 レース・ド・ニッポン 筑波 F3 ラルトRT32 (2組6位)[注釈 4] 9
9月22-24日 鈴鹿グレート20ドライバーレース 鈴鹿 F3 AT HOMEマイルームカ゛イトRT32 15 24
10月14,15日 レース・オブ・フォーミュラ・ジャパン 西日本 F3 AT HOMEマイルームカ゛イト無限 (2組10位)[注釈 4] RT
10月20,21日 日本グランプリ記念レース 鈴鹿 F3 AT HOMEマイルームカ゛イト無限 13 15
11月04,05日 スーパーファイナルラウンド in SUZUKA 鈴鹿 F3 AT HOMEマイルームカ゛イト 22 15

1990年

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フランスF3選手権参戦。[9][10][11][12][13][14][注釈 5]

1991年

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日本へ戻り、耐久レース フォーミュラトヨタ全日本F3選手権 に参加。(全12レース)[15]

開催日 大会名 会場 クラス   車名 耐久パートナー 予選順位 最終結果
4月28,29日 第2回ハイランド300km耐久レース大会 仙台 トランスグローバルパルサー 真田睦明 RT
6月1日 オートテック富士ツーリングカー6時間レース 富士 コンソレーション トランスグローバルエバカルタス 飯塚昭三 62 7[注釈 6]
6月8,9日 筑波チャレンジカップ第4戦 筑波 F3 ラルトRT34 1組10 11
7月27,28日 日本信販スーパーカップ2SUGOインターフォーミュラ 菅生 F-トヨタ NORMA AS FT-91 5[16] 4
8月10-12日 筑波フェスティバルナイター9時間&3時間レース 筑波 9時間耐久 カルタス 榎本広行飯塚昭三 23
8月17,18日 レース・ド・ニッポン 筑波 F3 ラルトRT34 1組11 12
9月21,22日 ベストドライバースN1耐久レース 美弥 トランスグローバルBPカルタス 小林正吾 29 28
10月05,06日 インターチャレンジFUJI1000kmレース 富士 F-トヨタ NORMA AS FT-91 24[16] RT
11月08,10日 全日本ツーリングカー選手権第7戦 INTER TEC 富士 F-トヨタ NORMA AS FT-91 21[16] 10
11月16,17日 グランナショナル筑波スピードカップ3 筑波 P1300 カルタス 7 6
11月23,24日 SUGO N1 500km RACE 菅生 N1耐久クラス4 カルタス 小林正吾 19
11月29日-12月01日 ユーロ-マカオ-ジャパン チャレンジカップ2nd.インターF3リーグ1991[注釈 7] 富士 F3 ラルトRT34 14

1992年

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全日本F3選手権、N1耐久、全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参加。(全12レース)[17] 原田淳、吉川とみ子らと、ル・マン24時間レースに出場[3]

開催日 大会名 会場 クラス   車名 耐久パートナー 予選順位 最終結果
1月25,26日 鈴鹿300km&FJレースフェスティバル 鈴鹿 N1 ジャラーナBPカルタス 小林正吾 42 RT
4月28,29日 第3回ハイランド300km耐久レース大会 仙台 N1 ジャラーナBPカルタス 戎南子 2組12位 RT
5月02-04日 全日本富士1000kmレース大会 富士 F3 ラルトRT35 2組11位 RT
5月30,31日 オートテック富士ツーリングカー6時間レース 富士 N耐 カルタス 塚原 久 34 24
6月13,14日 ハイランドフォーミュラ選手権レース 仙台 F3 INTERLINKラルト無限 24 14
6月27,28日 TI・英田F3チャンピオンシップレース 英田 F3 INTERLINKラルト無限 30 24
7月18,19日 ツーリングカー300km耐久IN TI 英田 N1 カルタス 久保悟 千葉達也 35 18
8月14-16日 筑波ナイター12時間&3時間耐久レース 筑波 N1 カルタス 塚原 久 千葉達也 13
10月11日 N1耐久ラウンドシリーズ’92 第6戦 美祢 N1 ジャラーナBPカルタス 榎本広行 RT
10月31日,11月01日 第9回 SUGO 500km耐久レース 菅生 N1 ジャラーナオートレースカルタス 塚原 久 25
11月06日-11月08日 国際ツーリングカー耐久レースインターTEC 富士 JTC シビック 服部吉男 富井 豊 36 RT
11月28,29日 ツクバファイナルフェスティバル 筑波 P1300 ジャラーナオートレースカルタス 6
ル・マン24時間レース
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160周走行しチェッカーを受けたが、周回数不足のため非完走として14位の下に記載。[注釈 8]

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1992年 イギリスの旗 チェンバレン・エンジニアリング 日本の旗 原田淳
日本の旗 吉川とみ子
スパイス・SE89C C1 160 NC NC

1993年

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N1耐久(全8レース)に参加。[18]

開催日 大会名 会場 クラス   車名 耐久パートナー 予選順位 最終結果
3月6,7日 ツーリングカー300km耐久 IN TI 英田 N1-4 カルタス 永田まり 31 25[注釈 9]
4月3-5日 第4回ハイランドN1 300Km耐久レース 仙台 N1-4 ジャラーナBPカルタス 永田まり 22[注釈 9]
4月3,4日 第4回ハイランドN2 300km耐久レース 仙台 N2 ジャラーナBPカルタス 永田まり 32
4月24,25日 鈴鹿N1 500kmレース 鈴鹿 N1-4 ジャラーナBPカルタス 永田まり 43 25
5月29,30日 富士ツーリングカー6時間レース 富士 N1-4 カルタス 永田まり 35 RT
8月13日 筑波ナイター12時間&3時間耐久レース (クラス4 1時間レース) 筑波 N1-4 カルタス 永田まり 4[注釈 10]
8月13,14日 筑波ナイター12時間&3時間耐久レース(12時間レース) 筑波 N1-4 カルタス 永田まり 奥山高志 RT
10月17日 N1耐久ラウンドシリーズ’93第7戦 美祢 N1-4 ジャラーナBPカルタス 永田まり 31 19[注釈 9]
11月6,7日 SUGO500km耐久レース 菅生 N1-4 ジャラーナBPカルタス 奥山高志 38 24

1994年

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8月13日開催の筑波ナイター9時間 & 3時間耐久レースに参加。このレースを以て引退。[19]

開催日 大会名 会場 クラス   車名 耐久パートナー 予選順位 最終結果
8月13,14日 筑波ナイター9時間&3時間耐久レース(3時間レース) 筑波 N1-4 カルタス 宮前清人 梅沢 雅男 16
8月13,14日 筑波ナイター9時間&3時間耐久レース(9時間レース) 筑波 N1-4 カルタス 宮前清人 梅沢 雅男 6[注釈 9]

引退後

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四輪転向時に地元で家業を継ぎ、現在は芝浦埠頭近くで飲食店を経営している。外部リンクの節へ

エアライフル射撃競技に参加しており、2020東京オリンピックに於いては出場を果たせなかったものの、来日する外国人選手の銃器・実包の輸入手続きとそれらの帰国時の手続きの実務のサポート要員として運営参加している。外部リンクの節へ

脚注

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注釈

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  1. ^ 3勝した伊藤はシリーズ5位にとどまっている
  2. ^ 予選時天候不順のため各組の上位選抜による。そのためタイム順のグリッドではない。
  3. ^ a b 予選結果データ無し
  4. ^ a b c グリッド不明
  5. ^ 記事の内容から成績を類推することは可能であるが、リザルト的なものへ到達できなかったため出典のみ記入。
  6. ^ コンソレーション=予選落ち車両のレース
  7. ^ 優勝デビッド・クルサード、2位ルーベンス・バリチェロ
  8. ^ 但し15位相当という事ではない。チェッカーを受ける事が出来ると、リザルト表ではチェッカーを受けずにリタイアしたチームより上に記載される。順位欄はNC。
  9. ^ a b c d クラス1位
  10. ^ クラス4単独のレース

出典

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  1. ^ 三栄書房 AUTO SPORT 1989年8月15日号(#533)P85
  2. ^ a b CBSソニー出版 RACING HEROES 1988年 2月号 P84-P86
  3. ^ a b 三栄書房 AUTO SPORT 1992年8月15日号 P10 - P37
  4. ^ https://web.archive.org/web/20160304023125/http://www.geocities.jp/panzer01v/86tukuba1n250f.html
  5. ^ a b 武集書房ライディングスポーツ 1987-88 YEAR BOOK P144,P145
  6. ^ 武集書房ライディングスポーツ 1986-87 YEAR BOOK P103、P175。
  7. ^ JAF国内レース結果データベース 嶋村健太 1988年度
  8. ^ JAF国内レース結果データベース 嶋村健太 1989年度
  9. ^ 三栄書房 AUTO SPORT 1990年5月1日号(#553)P150,151
  10. ^ 三栄書房 AUTO SPORT 1990年6月1日号(#555)P57,P150
  11. ^ 三栄書房 AUTO SPORT 1990年8月15日号(#560)P150,151
  12. ^ 三栄書房 AUTO SPORT 1990年9月1日(#561) P149
  13. ^ 三栄書房 AUTO SPORT 1990年9月15日(#562) P87
  14. ^ 三栄書房 AUTO SPORT 1990年12月15日号 P158,159
  15. ^ JAF国内レース結果データベース 嶋村健太 1991年度
  16. ^ a b c 三栄書房 AUTO SPORT 1991年1月15,21日号 P61
  17. ^ JAF国内レース結果データベース 嶋村健太 1992年度
  18. ^ JAF国内レース結果データベース 嶋村健太 1993年度
  19. ^ JAF国内レース結果データベース 嶋村健太 1994年度

外部リンク

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