崔霊恩
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崔 霊恩(さい れいおん、生没年不詳)は、中国の南北朝時代の官僚・儒学者。本貫は清河郡東武城県。
経歴
[編集]若くして学問に精励し、五経に広く通じ、とくに三礼と春秋三伝に詳しかった。はじめ北魏に仕えて太常博士となったが、天監13年(514年)に南朝梁に帰順し、員外散騎侍郎の位を受けた。歩兵校尉に転じ、国子博士を兼ねた。霊恩の性格は質朴で、風采は冴えなかったが、経典の解釈は合理的で精緻をきわめていたため、建康の儒者たちはみなかれを重んじた。霊恩が講義をおこなうと、聴講する者がつねに数百人に及んだ。長沙郡内史として出向し、後に建康に召還されて国子博士に任じられた。明威将軍・桂州刺史として出向し、在官のまま死去した。
著書に『集注毛詩』24巻、『集注周官礼』20巻、『三礼義宗』30巻、『春秋経伝解』6巻、『春秋申先儒伝論』10巻、『春秋左氏伝立義』10巻、『春秋序』1巻などがあった。