島津千百子
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島津 千百子(しまづ ちもこ、文政4年(1821年)- 弘化4年5月10日(1847年6月22日))は、薩摩藩島津家一門の重富島津家5代当主であった島津忠教(久光)の正室。最後の薩摩藩主島津忠義の生母。別名・お千百(おちも)。父は重富島津家4代当主島津忠公。母は今和泉家島津忠厚の娘。忠教の従妹に当たる[注釈 1]。また、香淳皇后の曾祖母、明仁上皇の高祖母にあたる。
夫との間に多くの子をもうけたが、お由羅騒動以前に数え27歳で早世しており、長男忠義の島津本家相続にも立ち会うことはなかった。
子女
[編集]- 於儔(天保7年12月8日(1837年1月14日) - 天保8年8月24日(1837年9月23日))
- 島津忠義
- 於定(島津久静室、栄松院、天保9年正月20日(1838年2月14日)- 慶応3年3月11日(1867年4月15日))[注釈 2])
- 於哲[注釈 3](入来院公寛室[注釈 4]、天保10年2月20日(1839年3月24日) - 文久2年7月4日(1862年7月30日))
- 島津久治(島津図書)
- 包次郎(天保13年7月晦日(1842年9月4日)-天保14年4月7日(1843年5月6日))
- 於寛(喜入久博室、天保14年閏9月7日(1843年10月29日) - 文久2年7月27日(1862年8月22日))
- 島津珍彦
- 島津忠欽
系図
[編集]明仁の系譜 |
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