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島津フミヨ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

島津 フミヨ(しまづ フミヨ、1902年明治35年〉11月9日 - 1967年昭和42年〉12月31日)は、昭和期の日本の女性放射線医学者。弟に熊倉正弥

略歴

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栃木県喜連川町出身。父熊倉弥五郎、母ソメの三女[1]姫路の島津愛之と結婚する[1]

東京府立第一高等女学校を経て、東京女子医学専門学校を卒業し、母校病院のレントゲン科に入局する。1942年4月に放射線医学教室の初代教授となる[2][3]1951年には、梯子式連続撮影装置の試作に成功し、心臓外科の発展に大きく貢献した[3]

著書

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単著

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  • 『血管心臓造影法』金原出版〈胸部レ線写真読影講座・心臓篇 第3集〉、1955年12月。 NCID BN10351324全国書誌番号:62008701 

共著

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脚注

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  1. ^ a b 日本図書センター 1993, p. 529.
  2. ^ 島津 フミヨ」『20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%20%E3%83%95%E3%83%9F%E3%83%A8コトバンクより2022年3月18日閲覧 
  3. ^ a b 沿革”. 東京女子医科専門病院. 2022年3月18日閲覧。(「島津フミヨ教授」の箇所を参照)

参考文献

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外部リンク

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