島村遜
表示
島村 遜(しまむら ゆずる、寛延4年(1751年)- 文化14年(1817年))は江戸時代中期-後期の儒学者(朱子学派)、教育者。字(あざな)は子譲。通称は宇兵衛。号は泮林。福岡藩藩儒[1]。
経歴
[編集]福岡藩藩儒島村皓の子として筑前国に生まれる。家学を紹述する[1]。
天明4年(1784年)藩校修猷館が創立されるや、その教導となる。また、藩主の伴読を兼任した[1]。
寛政3年(1791年)修猷館総受持(館長)竹田定良により、奥山弘道、井土周徳とともに、修猷館総受持助に任命され、定良の総受持職を3名で輪番で補佐することとなった[2]。寛政6年(1794年)には、同3名で交代で総受持の学務を摂政した。藩主黒田家の家譜の編修にも携わった[1]。
文化13年(1816年)致仕し、養嫡子の島村彬が家督を継いだ。文化14年(1817年)没[1]。