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島 信勝(しま のぶかつ、永禄元年(1558年) - 慶長5年9月15日(1600年10月21日))は、戦国時代・安土桃山時代の武将。通称新吉、友保とも。島清興(左近)の嫡子。『筒井諸記』では初め新吉政勝、のち左近丞清勝とされている。
筒井順慶に従い、1585年(天正13年)豊臣秀吉の紀州征伐に際しては、順慶とともに出陣、活躍した。関ヶ原の戦いでは、杭瀬川の戦いに左近とともに出陣、本戦で藤堂良政を討ち取るが[1]、直後に藤堂良政の家臣である高木半三郎に討ち取られた[2]。
- ^ 白峰旬「藤堂高虎は関ヶ原で大谷吉継と戦った―『藤堂家覚書』の記載検討を中心に―」『十六世紀史論叢』9号、2018年。
- ^ 白峰旬『新視点 関ヶ原合戦 天下分け目の戦いの通説を覆す』平凡社、2019年8月21日、233頁。ISBN 9784582468236。