岸町 (さいたま市)
■岸町 | |
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北緯35度51分3.9秒 東経139度39分37.1秒 / 北緯35.851083度 東経139.660306度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 浦和区 |
地域 | 旧浦和市域 |
人口 | |
• 合計 | 12,766人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
330-0064[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
※座標は調神社の位置 |
岸町(きしちょう[4]、きしまち)は、埼玉県さいたま市浦和区の町丁。現行行政地名は岸町一丁目から岸町七丁目。住居表示実施地区[5]。郵便番号は330-0064[2]。調神社や埼玉県立浦和第一女子高等学校が所在し、浦和駅周辺の高級住宅地の一つとして知られる[6][7]。
地理
[編集]浦和区南部の大宮台地の南端に位置する。白幡・神明・高砂・東岸町・別所と隣接する。文教都市を謳う浦和の閑静な高級住宅地であり[6]、31階建てのライオンズマンションコスタタワーをはじめ15階程度の中層マンションが多数建設された。
地価
[編集]住宅地の地価は、2022年(令和4年)1月1日の公示地価によれば、岸町4-14-17の地点で57万2000円/m2となっている[8]。市内では浦和区高砂に次ぎ高い。
歴史
[編集]江戸時代は武蔵国足立郡浦和領に属する岸村であった[9]。地名の由来はこのあたりにかつて大河(古入間川)が流れ[10]、その岸を望む所であったことに因む[9][11]。
沿革
[編集]- 岸村発足時は幕府領で以降変遷なし[9]。
- 幕末時点では足立郡岸村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった。調神社の社領も存在した[12]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1874年(明治7年)12月28日 - 浦和宿に岸村が合併[13]。浦和宿の小字となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。浦和宿に郡役所を設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町制施行により、浦和宿は浦和町となる[13]。
- 1900年(明治33年)3月16日 - 埼玉県立高等女学校(現・埼玉県立浦和第一女子高等学校)設立。
- 1934年(昭和9年)2月11日 - 浦和町が市制施行し、浦和市となる。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 浦和宿の旧岸村にあたる区域から、町名変更により岸町一丁目から八丁目が成立[4]。
- 1953年(昭和38年)11月1日 - 浦和市立岸町小学校(現・さいたま市立岸町小学校)開校[14]。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 住居表示実施に伴い、岸町一丁目から七丁目が成立(岸町一丁目・大字白幡の一部から一丁目が、岸町二丁目・大字白幡の一部から二丁目が、岸町三丁目から三丁目が、岸町四丁目・高砂町二丁目の一部から四丁目が、岸町五丁目・大字白幡および別所の一部から五丁目が、岸町六丁目・大字別所の一部から六丁目が、岸町七丁目・高砂町二・三丁目の一部・大字別所の一部から七丁目が成立)[9]。東北本線の東側にあった岸町八丁目は、前地町一丁目の一部とともに東岸町に変更[15]され消滅。なお、二丁目の一部は住居表示未実施の区域が残される[9][4]。
- 1966年(昭和41年) - 岸町五丁目の一部を大字白幡に編入[9]。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市の町名となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、さいたま市浦和区の町名となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。埼玉県内では越生町(約1万1千人)より人口が多い。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
岸町一丁目 | 693世帯 | 1,573人 |
岸町二丁目 | 641世帯 | 1,493人 |
岸町三丁目 | 546世帯 | 1,141人 |
岸町四丁目 | 1,181世帯 | 2,406人 |
岸町五丁目 | 619世帯 | 1,397人 |
岸町六丁目 | 826世帯 | 1,853人 |
岸町七丁目 | 1,074世帯 | 2,293人 |
計 | 5,580世帯 | 12,156人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[16]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
岸町一丁目 | 全域 | さいたま市立高砂小学校 | さいたま市立岸中学校 |
岸町二丁目 | 全域 | ||
岸町三丁目 | 全域 | ||
岸町四丁目 | 全域 | ||
岸町五丁目 | 全域 | さいたま市立岸町小学校 | さいたま市立白幡中学校 |
岸町六丁目 | 全域 | ||
岸町七丁目 | 全域 |
交通
[編集]鉄道
[編集]町内の東端を東北本線(京浜東北線ほか)が通っているが、駅は存在しない。ただし、町外に徒歩圏内の駅が3つ所在する。
道路
[編集]- 埼玉県道213号曲本さいたま線(旧中山道[17][18][19]) - 「中山道」とも呼ばれる[20][21]。江戸時代の中山道の道筋を踏襲している道路で、高砂との境界付近は浦和宿である。
- 田島大牧線
- 馬場先通り[22]
- 坂下通り
地域
[編集]寺社・史跡
[編集]- 神明社(二丁目)
- 一行寺(二丁目) - 浄土宗の寺院
- 調神社、調公園(三丁目) - 神社横に神社が所有する「日蓮上人駒つなぎの木」があり、日蓮が佐渡へ島流しされる途中にここを通り、この木に馬を繋いで妊婦の安産を祈願したとされている。
- 第六天神社(四丁目)
- 起志乃天神(五丁目)
- 岸町神葬霊園(五丁目)
- 最勝寺(七丁目)
施設
[編集]浦和駅に近いため、数多くの商業施設や民間施設が立地する。
- 一丁目
- 岸町一丁目公園
- 二丁目
- 神明社公園
- 三丁目
- 埼玉県立浦和第一女子高等学校
- 学校法人羽鳥学園双葉幼稚園
- 日本赤十字社埼玉県支部
- 浦和岸町郵便局
- 四丁目
- 五丁目
- さいたま市立岸町小学校
- 岸町公民館(旧浦和岸町コミュニティーセンター)
- 岸町防犯ステーション(旧埼玉県警察浦和警察署岸町交番)
- 関東農政局さいたま庁舎(消費・安全部 地域第1課)
- 岸町公園
- 六丁目
- さいたま市立岸町保育園
- さいたま市立教育研究所
- 七丁目
一部区域が町外にあるさいたま市立白幡中学校、さいたま市立岸中学校の学区である。
読み方
[編集]「岸町」の正しい読み方は湯桶読みの「きしちょう」[4]であるが、岸町五丁目みどり自治協力会の資源回収車(毎週月曜日朝に古紙を回収している)は「きしまち」とアナウンスしている等、住民の間では「きしまち」の読みが定着している。
出身・ゆかりのある人物
[編集]政治・経済
[編集]- 相川宗一(浦和市長、さいたま市長)
- 相川宗次郎(米穀商、浦和市長、浦和市会議長)
- 岸上克己(ジャーナリスト、労働運動家、浦和町会議員) - 岸町に居住。次男の岸上のぶをは「埼玉県歌」作詞者。
- 松永東(弁護士、自民党衆議院議員、第45代衆議院議長、さいたま市名誉市民) - 1929年12月、岸町に住居を構えた[23]。
- 松永光(弁護士、自民党衆議院議員) - 文部大臣、通産大臣、大蔵大臣などを歴任。弁護士事務所が岸町にある。松永東の養子。
芸能
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 917頁。
- ^ “住居表示実施地区一覧” (PDF). さいたま市 (2019年2月26日). 2019年12月10日閲覧。
- ^ a b 『東京土地のグランプリ 2012-2013』講談社 、2012年、151-153頁
- ^ 【街から】浦和・大宮エリアの生活・地域情報 - ノムコム 2019年12月10日閲覧。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 305-306頁。
- ^ 国土地理院の『治水地形分類図』等を参照。
- ^ 新編武蔵風土記稿 岸村.
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ a b 『わがまち浦和』巻末付録(頁番号なし)。
- ^ 学校沿革史 - さいたま市立岸町小学校.2019年12月10日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 712頁。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ 交通案内医療法人青木会青木医院
- ^ 第30回浦和まつり 中山道会場 記念DVDサンプルさいたま観光国際協会公式YouTube2010年9月26日投稿
- ^ ’15彩の国実業団駅伝コースマップ埼玉県
- ^ 馬場先通りの岸町公民館前交差点付近の標識
- ^ アクセス満寿家
- ^ 『でっか字埼玉便利情報地図』 63頁。
- ^ 『火の国健児の生涯松永東』87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 前田敬介『火の国健児の生涯松永東』松永光、1979年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。
- 『でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、2,63-64頁。ISBN 978-4-398-60135-3。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 「岸村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ142足立郡ノ8、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763998/36。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- さいたま市地図情報 - さいたま市
- 浦和区ガイドマップ - さいたま市
- さいたま市「岸町公民館」