岩滝丸山古墳
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岩滝丸山古墳 | |
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移築石棺(与謝野町指定文化財) (与謝野町立学習センター知遊館東の長寿公園内) | |
所在地 | 京都府与謝郡与謝野町岩滝(字大風呂)(丸山墓地付近) |
位置 | 北緯35度34分11.90秒 東経135度8分55.75秒 / 北緯35.5699722度 東経135.1488194度座標: 北緯35度34分11.90秒 東経135度8分55.75秒 / 北緯35.5699722度 東経135.1488194度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径30m 高さ4m |
埋葬施設 | 箱式石棺直葬 |
出土品 | 人骨・鏡・環頭大刀・銅鏃 |
築造時期 | 5世紀前半 |
史跡 | なし |
有形文化財 | 石棺(与謝野町指定文化財) |
特記事項 | 墳丘は非現存 |
地図 |
岩滝丸山古墳(いわたきまるやまこふん)は、京都府与謝郡与謝野町岩滝にあった古墳。形状は円墳。現在では墳丘は失われている。石棺は与謝野町指定有形文化財に指定されている。
概要
[編集]京都府北部、天橋立で仕切られた内海である阿蘇海の西奥、成相山系から南に延びる尾根上に築造された古墳である。1946年(昭和21年)に発掘されて石棺・副葬品が出土し、1966年(昭和41年)の発掘調査ののち町道建設によって削平されている。
墳形は円形で、直径約30メートル・高さ約4メートルを測った[1]。墳丘外表で葺石・埴輪は認められていない[1]。埋葬施設は箱式石棺の直葬。墓壙は長さ2.7メートル・幅1.5メートル・深さ0.4メートル、石棺は内法で長さ1.95メートル・西小口幅0.6メートル・東小口幅0.52メートル・高さ0.5メートルを測る[1]。石棺底には板石が敷かれ、棺の一部には赤色顔料が認められる[1]。昭和の発掘では、石棺内から人骨片のほか鏡・環頭大刀・銅鏃などが出土している[1]。築造時期は古墳時代中期前半の5世紀前半頃と推定される[1]。
出土石棺は移築され、2008年(平成20年)に与謝野町指定有形文化財に指定されている。
遺跡歴
[編集]- 1946年(昭和21年)、耕作中に石棺の発見、副葬品の出土。
- 1966年(昭和41年)、町道建設に伴う発掘調査(京都府教育委員会・岩滝町教育委員会、1970年に概要報告)。
- 2008年(平成20年)3月12日、移築石棺が与謝野町指定有形文化財に指定。
出土品
[編集]1946年(昭和21年)の発掘では、石棺内から人骨片のほか鏡・環頭大刀・銅鏃などが見つかったという。現在確認される副葬品は次の通り[1]。
- 神人車馬画像鏡 1 - 舶載鏡、直径21.4メートル。内区に東王父・西王母・双龍・3頭立て馬車を配し、外区銘帯に田王作以下の銘文を刻む。
- 銅鏃 14 - 元は16点出土。白銅質。
- 素環頭大刀 1
-
銅鏃
京都府立丹後郷土資料館(ふるさとミュージアム丹後)展示。
文化財
[編集]京都府暫定登録文化財
[編集]- 有形文化財
- 神人車馬画像鏡 岩滝丸山古墳出土(考古資料) - 2017年(平成29年)9月29日登録。
与謝野町指定文化財
[編集]- 有形文化財
- 岩滝丸山古墳の石棺(考古資料) - 2008年(平成20年)3月12日指定。
関連施設
[編集]- 長寿公園(与謝野町岩滝) - 与謝野町立学習センター知遊館東側。岩滝丸山古墳の石棺を展示。
- 京都府立丹後郷土資料館(ふるさとミュージアム丹後)(宮津市国分) - 岩滝丸山古墳の出土品を保管・展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 石棺説明板(与謝野町教育委員会、2008年設置)
- 佐藤晃一「丸山古墳 > 岩滝丸山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「岩滝丸山古墳」『京都府の史跡・遺跡ハンドブック 第3集』京都府教育委員会、2021年。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『丸山古墳発掘調査報告書』岩滝町教育委員会、1967年。
- 『埋蔵文化財発掘調査概報』京都府教育委員会、1970年。