岩城隆常
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岩城 隆常(いわき たかつね、1838年10月10日(天保9年8月22日[1])- 1893年(明治26年)10月18日[1][2][3])は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]越中国新川郡大村[1](石川県新川郡大村、富山県[2]上新川郡大広田村[3]を経て現富山市海岸通[1])で、加賀藩十村役・重右衛門の息子として生まれた[1]。
1873年(明治6年)新川県第7大区長[1]、1876年(明治9年)石川県第2大区副区長[1][注釈 1]に就任。その後、上新川郡首席書記、大村外16カ村戸長、大村外7カ村戸長を務めた[1]。1890年(明治23年)3月、富山県会議員に選出され[1][1][2]、1892年(明治25年)2月まで在任した[1]。
1892年2月、第2回衆議院議員総選挙(富山県第2区、独立倶楽部)で当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。その後無所属となり[2]、議員在任中の1893年10月に死去した[1][5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』80頁、『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』61頁では大区長。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『富山大百科事典 上巻』北日本新聞社、1994年。