岩下光男
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岩下 光男(いわした みつお、1917年(大正6年)8月19日 - 2002年(平成14年)4月13日[1])は、日本の工学者(海洋工学)。魚群探知機の改良型の開発者。元北海道東海大学学長補佐。北海道山越郡長万部町出身。
来歴
[編集]1936年(昭和11年)東京電機学校電気科卒業。同年、東北帝国大学電気通信研究所助手。1946年(昭和21年)電波科学専門学校助教授。1950年(昭和25年)4月東海大学工学部助教授。1959年(昭和34年)同工学部教授。1962年同海洋学部教授。1974年(昭和49年)同海洋学部長。1976年(昭和51年)同海洋研究所長。後に同海洋科学博物館長。1985年(昭和60年)北海道東海大学工学部教授。1986年(昭和61年)同学長補佐。1991年(平成3年)北海道東海大学退職。東海大学名誉教授。2002年4月13日、骨髄異形成症候群のため逝去。
他に、北海道庁北海道地区将来計画委員、資源エネルギー庁環境審査顧問、自由時間村・岩下塾を主宰した。
受賞歴
[編集]著書
[編集]- 『海 : その神秘と未来』(岩下監修、東海大学出版会 1974年)
- 『これが特許の実力か!畠中水溶性キトサンの常識』(産学社 2001年)
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.85
参考文献
[編集]- 『北海道人物・人材情報リスト2004 あ-お』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)