岡五郎
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岡 五郎 | |
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誕生 |
1855年7月12日(安政2年5月29日) 越前国大野郡大野清水町(現・福井県大野市) |
死没 | 1928年10月31日(73歳没) |
職業 | 教育者、官吏 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京師範学校中学師範学科 |
代表作 | 『小学教授法』(1886年) |
配偶者 | 春子 |
子供 | 宗一(養子) |
岡 五郎(おか ごろう、1855年7月12日(安政2年5月29日[1]) - 1928年(昭和3年)10月31日[2])は、日本の教育者・文部官僚。
経歴
[編集]越前藩出身。岡源太夫の五男[1]。藩校で漢学を学ぶ。福井県師範学校変則生を経て、1877年(明治10年)に官立愛知師範学校を卒業。東京麹町清水小学校訓導、千葉県鶴舞小学校校長、茂原町中学校教諭を歴任した。1882年(明治15年)、東京師範学校(後の東京高等師範学校)を卒業。その後、徳島県師範学校一等教諭・学務課勤務、徳島県中学校一等教諭、高等師範学校助教諭・附属小学校主任、同教諭、女子師範学校教諭・同高等女学校主任、同教授・文部省普通学務局勤務、高等師範学校書記・教授、文部省普通学務局第一課長、宮城県尋常師範学校校長、東京府視学官・文部省視学官を歴任した。
著作
[編集]- 「遺稿」(『岡五郎伝』)
- 著書
脚注
[編集]- ^ a b 人事興信所 1903, 310頁.
- ^ 『岡五郎伝』。『現今日本名家列伝』は出生を安政3年5月とする。
参考文献
[編集]- 『現今日本名家列伝』日本力行会出版部、1903年。
- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 吉岡寿編輯『岡五郎伝』立平衡、1938年。
関連文献
[編集]- 「岡五郎」(内尾直二編輯 『第二版 人事興信録』 人事興信所、1908年8月)
外部リンク
[編集]- 大日本教育会・帝国教育会東京府会員ファイル26 - ウェイバックマシン(2015年2月15日アーカイブ分) - 大日本教育会・帝国教育会の群像
- 附属小学校主事肖像 岡五郎 - お茶の水女子大学デジタルアーカイブズ。
公職 | ||
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先代 田中敬一 |
宮城県尋常師範学校長 1893年 - 1897年 |
次代 桑原護一 |
先代 東京高等女学校長 矢田部良吉 高等師範学校附属校園主任 岡五郎 |
女子高等師範学校附属学校主事 1891年 主任 1890年 - 1891年 |
次代 篠田利英 |
先代 桜井房記 |
高等師範学校附属校園主任 1886年 - 1890年 |
次代 高等師範学校附属学校主任心得 波多野貞之助 女子高等師範学校附属学校主任 岡五郎 女子高等師範学校附属幼稚園主任 中村五六 |