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中村五六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村 五六
誕生 (1861-12-29) 1861年12月29日文久元年11月18日
肥前国南高来郡神代村(現・長崎県雲仙市
死没 (1946-02-09) 1946年2月9日(84歳没)
職業 教育者
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 東京師範学校中学師範学科
代表作 『幼稚園摘葉』(1893年)
『保育法』(1906年)
配偶者 太津
子供 あつ(長女)、秀実(長男)、喜美(次女)、利(三女)、里美(次男)、穣夫(三男)
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中村 五六(なかむら ごろく、文久元年11月18日1861年12月29日) - 昭和21年(1946年2月9日[1])は、日本教育者

経歴

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肥前国南高来郡出身。佐賀藩の藩校で漢学を学び、長崎英語学校を経て、1880年明治13年)に東京師範学校に入学。1884年(明治17年)に卒業後は、同校附属小学校訓導を務めた。1890年(明治23年)、女子高等師範学校助教諭・付属幼稚園主事に就任し、翌年同教授・附属幼稚園主事となった。文部省普通学務局勤務を経て、1895年(明治28年)、神奈川尋常師範学校校長となり、1898年(明治31年)に東京女子高等師範学校教授・附属幼稚園主事となった。

その後、奈良県師範学校校長[2]静岡県女子師範学校校長を務めた[3]

栄典・授章・授賞

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著作

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中村五六
著書・編書

脚注

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  1. ^ 『茗渓会七十年史』茗渓会、1952年、90頁。 
  2. ^ 『官報』第7730号、明治42年4月6日。
  3. ^ 『官報』第252号、大正2年6月3日。
  4. ^ 『官報』第4326号「叙任及辞令」1897年12月1日。

参考文献

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  • 『現今日本名家列伝』日本力行会出版部、1903年。 

関連文献

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  • 「女子高等師範学校附属幼稚園主事中村五六君の小伝」(『日本之小学教師』第2巻第17号、国民教育学会、1900年6月)
  • 中村五六」(内尾直二編輯 『第二版 人事興信録』 人事興信所、1908年6月)
  • 水野浩志 「「幼稚園摘葉」解説」「「保育法」解説」(前掲 『明治保育文献集 第8巻』)
公職
先代
有坂幾造
静岡県女子師範学校長
1912年 - 1913年
次代
津久井徳次郎
先代
亀井義六
奈良県師範学校長
1909年 - 1912年
次代
川島庄一郎
先代
大久保介寿
日本の旗 東京女子高等師範学校附属幼稚園主事
1908年 - 1909年
女子高等師範学校附属幼稚園主事
1898年 - 1908年
次代
藤井利誉
先代
須田辰次郎
神奈川県尋常師範学校長
1895年 - 1898年
次代
朝夷六郎
先代
高等師範学校附属校園主任
岡五郎
日本の旗 女子高等師範学校附属幼稚園主事
1891年 - 1895年
主任
1890年 - 1891年
次代
大久保介寿