山県長茂
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 永禄3年(1560年) |
死没 | 慶安3年3月23日(1650年4月22日) |
別名 | 源右衛門、源右衛門尉 |
主君 | 吉川元長→広家→広正 |
氏族 | 源姓頼綱流安芸山県氏 |
山県 長茂(やまがた ながしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士。吉川氏の家臣。
吉川経家の最期を記した「山県長茂覚書」を遺した人物として著名である。
生涯
[編集]安芸国国人である安芸山県氏の出身。安芸国吉田で生まれ、11歳の時に新庄へと移り、吉川元長の家臣となった。天正9年(1581年)3月、吉川経家に従い鳥取城へと入城。同年秋まで籠城戦を続け、生還した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後は周防国岩国へと移住、瀬田・柳井田を領して、引き続き吉川氏に仕えた。寛永21年(1644年)11月11日付で、吉川経家の孫・正実に宛てて「山県長茂覚書」を記した。
山県長茂覚書
[編集]寛永21年(1644年)11月11日付で、吉川正実に宛てて送られた覚書で、上月城の戦いや宇喜多氏・南条氏の裏切り、鳥取城の戦いの前後を記しており、全体で三十三条から成る。そのうちの多くが鳥取城の戦いの記述である。この鳥取城の戦いには山県長茂も参戦して籠城しており、今日伝わる吉川経家の最期の多くは、この山県長茂覚書からの出典となっている。
出典
[編集]- 岩国藩御家中系図(岩国徴古館蔵)