コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

山田武甫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田 武甫(やまだ たけとし、1832年天保2年12月[1]) - 1893年明治26年)2月23日[2][注 1])は、明治時代の政治家養蚕家衆議院議員(2期)。敦賀県令。本姓は牛島、幼名は五次郎[3]

経歴

[編集]

熊本藩士の家に生まれる[3]1838年(天保9年)藩校時習館に入校[3]1850年嘉永3年)横井小楠の門に入り[4]陽明学を学び武術を修めた[1]1852年(嘉永5年)22歳の時、山田家を継いだ[5]戊辰戦争が勃発すると熊本藩会計権判事に任ぜられ、同少参事を経て[6]1874年(明治7年)敦賀県令に就任した[7]

1876年(明治9年)敦賀県廃止と同時に帰郷し[7]、蚕業会社社長となり、さらに共立学舎を創立し後進の育成に尽くした[1]。その後、熊本県師範学校長となった[1]1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では熊本県第5区から出馬し当選[1]弥生倶楽部に所属し、つづく第2回総選挙でも当選したが[1]、在任中に病死した[2]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『議会制度七十年史 第11』534-535頁では2月25日没。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1962, 534頁.
  2. ^ a b 小久保 1939, 6頁.
  3. ^ a b c 小久保 1939, 1頁.
  4. ^ 小久保 1939, 1-2頁.
  5. ^ 小久保 1939, 2頁.
  6. ^ 篠田 1891, 352頁.
  7. ^ a b 小久保 1939, 3頁.

参考文献

[編集]