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山田村 (兵庫県武庫郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やまだむら
山田村
廃止日 1947年昭和22年)3月1日
廃止理由 編入合併
山田村神戸市兵庫区
現在の自治体 神戸市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
武庫郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 神戸市有馬郡有野村八多村
明石郡伊川谷村押部谷村
美嚢郡志染村淡河村上淡河村
山田村役場
所在地 兵庫県武庫郡山田村中
座標 北緯34度43分38秒 東経135度08分40秒 / 北緯34.72725度 東経135.14439度 / 34.72725; 135.14439 (山田村)座標: 北緯34度43分38秒 東経135度08分40秒 / 北緯34.72725度 東経135.14439度 / 34.72725; 135.14439 (山田村)
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山田村(やまだむら)は、かつて兵庫県武庫郡(旧八部郡)にあった。現在の神戸市北区山田町にあたる(鈴蘭台を中心とする本区地域も含む)。

沿革

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  • 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、以下の範囲を以て八部郡山田村が成立する[1]
    • 明治維新前の各部落の行政は、小河村・衝原村・東下村・福地村・中村・坂本村・西下村・原野村・上谷上村・下谷上村・藍那村・小部村に分かれており[2]、これに無人村の与左衛門新田が加わった[1]
  • 1896年4月1日 - 八部郡が菟原郡とともに武庫郡に編入され、武庫郡山田村となる。
  • 1947年3月1日 - 神戸市兵庫区に編入される[3]
  • 1973年8月1日 - 兵庫区から北区が分区される。

経済

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農業

『大日本篤農家名鑑』によれば山田村の篤農家は、「朝民将一、畑郁太郎、前田喜代松、戸田長次郎、畠田朝英」などである[4]

伝承

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後に源義経と協力し一ノ谷の戦いでの勝利に貢献することとなる鷲尾義久が平家に領地を追われこの地へ落ち延びた、三木合戦で滅んだ別所家の家臣が帰農した、などの落武者伝説が残る[5]

脚注

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  1. ^ a b 福原 1976, p. 13.
  2. ^ 福原 1976, pp. 9–11.
  3. ^ 兵庫県市町振興課. “2. 市町の沿革/参考資料:”. 兵庫県市町要覧. 兵庫県市町村振興協会. 2021年7月23日閲覧。
  4. ^ 『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年、p124(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月2日閲覧。
  5. ^ 福原 1976, pp. 111–113.

参考文献

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  • 福原潜次郎『山田村郷土史』山田郷土史編纂委員会〈復刻版〉、1976年。 
  • 橋本行史「地方創生視点から見る近代山田村形成史 : 『山田村郷土誌』を中心として」『政策創造研究』第15巻、関西大学政策創造学部、2021年3月、1-30頁、doi:10.32286/00022950hdl:10112/00022950ISSN 1882-7330NAID 120007004597 

関連項目

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外部リンク

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