山田悦子 (社会運動家)
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やまだ えつこ 山田 悦子 | |
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生誕 |
沢崎 悦子 1951年(72 - 73歳) 日本・富山県 |
出身校 | 徳島女子短期大学保育科卒業 |
職業 | 社会運動家 |
山田 悦子(やまだ えつこ、旧姓:沢崎、1951年(昭和26年) - )は、日本の社会運動家。徳島女子短期大学卒業。富山県出身。
1974年(昭和49年)の甲山事件の冤罪被害者として知られる。
経歴
[編集]富山県出身。愛媛県新居浜市育ち。新居浜市立泉川小学校、新居浜市立泉川中学校を経て新居浜市立商業高等学校(現:愛媛県立新居浜商業高等学校)を卒業。1972年(昭和47年)に徳島女子短期大学保育科(現:徳島文理大学短期大学部)を卒業し、同年に兵庫県西宮市の甲山福祉センター甲山学園に保母として就職する[1]。
1974年(昭和49年)3月17日に甲山学園の園児である女児2人が殺害された甲山事件の犯人として同年4月7日に逮捕され、その後、証拠不十分で不起訴となり釈放[2]。1999年(平成11年)9月に大阪高裁で三度目の無罪判決が確定する[2]。
2001年(平成13年)に法曹関係者を集めた講演会を開き、その後は龍谷大学などで講演会を行い、冤罪についての社会運動に尽力した[2][3]。
著書
[編集]脚注
[編集]- ^ 1985年,河出書房新社『文藝第24巻』p53
- ^ a b c “「甲山事件」3度目の無罪判決まで25年、「法とは何か」問い続け…1974年4月「あれから」<48>”. 読売新聞. 2024年12月6日閲覧。
- ^ “「人権の大切さ学んだ」 甲山事件 冤罪被害者が登壇 龍谷大 /兵庫”. 毎日新聞. 2024年12月6日閲覧。