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山田彦八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山田やまだ 彦八ひこはち
生誕 1855年4月15日
死没 (1942-01-28) 1942年1月28日(86歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1881年 - 1915年
最終階級 海軍中将
墓所 青山霊園
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山田 彦八(やまだ ひこはち、1855年4月15日安政2年2月29日) - 1942年昭和17年)1月28日)は、日本武士薩摩藩)、海軍軍人海軍中将正三位勲一等功三級

経歴

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薩摩国出身。薩摩藩山田有庸の息子(母は大久保利通の妹・スマ)として生まれる。山田直矢山田三次郎は弟。伯父大久保利通勧めにより上京、翌4年(1871年)9月、海軍兵学寮に入学。1878年(明治11年)7月、海軍兵学校5期)を卒業。1881年(明治14年)1月、海軍少尉任官。1884年(明治17年)10月、「金剛分隊長となり、軍事部出勤、参謀本部海軍部第2局課員、海軍参謀部第2局員、「浪速」「筑波」「厳島」の各分隊長、「松島」回航委員などを経て、1891年(明治24年)12月、海軍少佐に昇進。

1892年(明治25年)6月、海軍参謀部第3課課員となり、呉鎮守府参謀日清戦争には「吉野」副長として参加。1895年(明治28年)12月、「天城艦長に就任。「天龍」艦長、呉海兵団長心得を経て、1897年(明治30年)6月、海軍大佐に進級し呉海兵団長となった。1898年(明治31年)5月、「須磨」艦長に就任し、「磐手」回航委員長(イギリス出張)、同艦長、佐世保鎮守府参謀長を経て、1903年(明治36年)11月、「朝日」艦長に発令され日露戦争に出征。1904年(明治37年)6月、海軍少将に進み第3艦隊司令官に就任し日本海海戦に参加した。

1905年(明治38年)12月、第1艦隊司令官に異動し、佐世保水雷団長、呉水雷団長を経て、1908年(明治41年)8月、海軍中将に進み第1艦隊司令官を勤めた。以後、竹敷要港部司令官、旅順鎮守府司令長官横須賀鎮守府司令長官、海軍将官会議議員を歴任。1915年(大正4年)3月、後備役に編入となった。

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

脚注

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  1. ^ 『官報』第183号「叙任」1884年2月12日。
  2. ^ 『官報』第1033号「叙任」1886年12月8日。
  3. ^ 『官報』第2617号「叙任及辞令」1892年3月24日。
  4. ^ 『官報』第5937号「叙任及辞令」1903年4月21日。
  5. ^ 『官報』第7460号「叙任及辞令」1908年5月12日。
  6. ^ 『官報』第8073号「叙任及辞令」1910年5月23日。
  7. ^ 『官報』第250号「叙任及辞令」1913年5月31日。
  8. ^ 『官報』第789号「叙任及辞令」1915年3月23日。
  9. ^ 『官報』第3430号「叙任及辞令」1894年12月3日。
  10. ^ 『官報』第3676号「叙任及辞令」1895年9月28日。
  11. ^ 『官報』第4754号「叙任及辞令」1899年5月10日。
  12. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  13. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  14. ^ 『官報』第8679号「叙任及辞令」1912年5月27日。
  15. ^ 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部) 中野文庫
  16. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  17. ^ 『官報』第8044号「叙任及辞令」1910年4月19日。

参考文献

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  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻、発売:第一法規出版、1995年。