山田三郎 (画家)
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山田 三郎(やまだ さぶろう、1927年 - 1979年)は、おもに書籍の挿絵や絵本などの分野で活動した、日本の画家[1]。本名・禄太郎から、仲間うちでは「ロクちゃん」と呼ばれていた[2]。
山田は、人形の制作工房で働いた後、1947年に戦時中の中断からの再建が取り組まれていた人形劇団プークで、人形劇に取り組み[1]、美術を手がけた[2]。1953年の時点では既にプークを離れていたが、映画『セロ弾きのゴーシュ』の制作に際して、人形のデザインなどの実質的な中心となった[2]。
瀬田貞二の薫陶を受け[3]、1950年代には、瀬田が中心となっていた平凡社の『児童百科事典』シリーズなどの挿絵を多数手がけた[3]。1960年代以降、本格的に絵本や、子ども向け書籍の挿絵に取り組み、高く評価された『三びきのこぶた』[4]、『ちびっこカムのぼうけん』[5][6]、『ながいながいペンギンの話』[7]などに関わった。
飯沢匡は、山田を評して「日本の動物画の第一人者」と述べたという[1]。
おもな絵本、挿画提供作品
[編集]- かもときつね、ビターリー・V・ビアンキ(内田莉莎子・訳)、福音館書店、1962年
- ピノキオ、コロディ・原作(関英雄・編)、あかね書房、1963年[8]
- 白いりす、安藤美紀夫・作、講談社、1965年
- きつねとねずみ、ビターリー・V・ビアンキ(内田莉莎子・訳)、福音館書店、1967年
- 三びきのこぶた、イギリス昔話(瀬田貞二・訳)、福音館書店、1967年
- ながいながいペンギンの話、いぬいとみこ・作、理論社、1999年
- ちびっこカムのぼうけん、神沢利子・作、理論社、1999年
- 3びきのこぶた、岡信子・文、世界文化社、2011年
脚注
[編集]- ^ a b c 竹迫祐子 (2003年). “絵本、むかしも、いまも… 第38回「動物画の達人 ―山田三郎『三びきのこぶた』―」”. 子どもの本だより (徳間書店) (9-10月号) 2014年11月28日閲覧。
- ^ a b c 石井マリ子 (2005年11月5日). “戦後人形劇史・外伝(その9) 映画「セロ弾きのゴーシュ」...私がプークをやめた頃...” (PDF). 日本人形劇人 (83): pp. 7-12 2014年11月28日閲覧。:初出は「東人協会報 17」執筆日付は2001年2月5日
- ^ a b 松居直. “講演会「ロシアの絵本を日本の子どもに」” (PDF). 国立国会図書館. 2014年11月28日閲覧。
- ^ “絵本作家・長谷川摂子さん:下(読みきかせの極意) 第6回”. 朝日新聞・夕刊: p. 16. (2001年9月19日). "3歳近くになると『三びきのこぶた』や『おおかみと七ひきのこやぎ』など本格的な物語絵本を..." - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 緒方春一 (1976年8月24日). “神沢利子・作 山田三郎・絵「ちびっこカムのぼうけん」 本のひろば”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 14 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “名作コーナー”. 朝日新聞・夕刊: p. 16. (2000年3月23日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 大平佐知子 (1999年4月22日). “アナウンサー・向坂樹興さん イメージ膨らむように間(絵本と私)”. 朝日新聞・夕刊: p. 10 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 竹川功三郎 (2013年9月23日). “霧のむこうのふしぎな町の人々 世界名作絵文庫21「ピノキオ」山田三郎・画 [絵本]”. 竹川功三郎. 2014年11月29日閲覧。