山武姥山貝塚
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山武姥山貝塚(さんぶうばやまかいづか)は、千葉県山武郡横芝光町姥山にある縄文時代中期から晩期にかけての貝塚で、縄文晩期の姥山式(姥山I、II、III、IV式)土器の標式遺跡である。市川市の姥山貝塚と区別するため、「山武姥山貝塚」と呼ばれる[1]。
座標: 北緯35度40分08.4秒 東経140度26分39.9秒 / 北緯35.669000度 東経140.444417度
概要
[編集]台地上に形成された貝塚であり、直径約120メートルの範囲に8箇所の貝層クラスタが谷頭に面して形成された点列環状貝塚と環状貝塚との中間と位置付けられ、縄文時代中期から晩期にかけ、今から5,000年前に始まり2,500年前迄続いた村であったと推定されている。点在する貝塚が全体で馬蹄形をなしているが、時期によって貝塚の位置が移動し、最終末になると貝塚はほとんどなくなっている。貝は、チョウセンハマグリ、ダンベイキサゴ、ヤマトシジミ、ウミニナ、バイ、シオフキを主体とする半鹹半淡の貝塚である[2]。
1956年(昭和31年)以来、6回にわたる発掘調査が行われ、数多くの遺物が発見された[3]。
周辺
[編集]周辺には、中台貝塚、鴻ノ巣貝塚、木戸場貝塚、牛熊貝塚など多くの貝塚があり、東側に縄文時代の丸木舟が多数発見されていることで知られた水系である栗山川と、南側にそのラグーンであったと推定される坂田池がある(丸木舟の出土例は栗山川の若干上流の多古町および匝瑳市に多い)。また、北側には表情豊かな人物埴輪が出土したことで有名な芝山古墳群(殿塚・姫塚)がある。
脚注
[編集]- ^ 縄文時代遺跡 横芝光町ホームページ
- ^ 横芝光町教育委員会『山武姥山貝塚 : 展示図録 : 平成31年度調査報告書』横芝光町教育委員会、2020年。doi:10.24484/sitereports.70311 。「令和2年に町民ギャラリーで展示した「山武姥山貝塚」の図録、及び平成31年に緊急調査した発掘調査報告書である。」
- ^ 山武姥山貝塚 - ちば観光ナビ 千葉県公式観光サイト
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鈴木公雄「千葉県山武郡横芝町姥山山武姥山貝塚の晩期繩文土器に就いて」『史学』第36巻第1号、慶応義塾大学 三田史学会、1963年8月、67-94頁、ISSN 0386-9334、CRID 1050845763875660672。
- 田邊えり「安行3b式期における東西関東の地域間関係 : 姥山式土器の検討を中心に」『東京大学考古学研究室研究紀要』第34巻、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部考古学研究室、2021年3月、45-72頁、CRID 1390290700496140928、doi:10.15083/0002000318、ISSN 1880-3784。
- 渡辺修一「横芝町山武姥山貝塚出土の縄文晩期浮線文土器群」『研究連絡誌』第35巻、千葉県文化財センター、1992年8月、24-33頁、CRID 1390854882618795648、doi:10.24484/sitereports.119460-48457。
- 渡辺修一「横芝町山武姥山貝塚出土の縄文晩期浮線文土器群 補遺」『研究連絡誌』第46巻、千葉県文化財センター、1996年3月、29-32頁、CRID 1390574334791920384、doi:10.24484/sitereports.119470-67944。
- 小川慶一郎「山武姥山貝塚1号土坑から出土した脊椎動物遺体」(PDF)『研究連絡誌』第86号、四街道 : 千葉県教育振興財団文化財センター、2022年3月、2655-2659頁、CRID 1520856295788418688、ISSN 0910285X、国立国会図書館書誌ID:000000041263。