山本西武
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山本 西武(やまもと さいむ、1610年(慶長15年) - 1682年4月19日(天和2年3月12日))は、江戸時代前期の俳人。通称は九郎左衛門。京都生まれ。号は他に無外軒・風外軒・風外斎。
人物
[編集]生家は元神官で壬生に屋敷を持ち、数代居住したという[1]。西武自身は綿商人を営んだ[1]。1616年(元和2年)、7歳にして松永貞徳の私塾に入り、1620年(元和6年)から俳諧を始める[1]。1629年(寛永6年)、20歳にして俳諧の亭主を務め、初めての式正の会を執り行う[1]。貞徳から秘伝書を伝授され、1642年(寛永19年)『鷹筑波集』編集や式目書『久流留』を刊行するが、1653年(承応2年)の貞徳死後、安原貞室と後継者を争った[1]。その後も貞門の古老として古風な俳風を守った[1]。
没年は、1678年(延宝6年)説、1682年(天和2年)説、1685年(貞享2年)説など諸説あるが、『貞徳永代記』の記述から1682年(天和2年)が妥当とされる[1]。辞世「夜の明て花にひらくや浄土門」[2]。