山本茂斗萌
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山本 茂斗萌(やまもと もとめ、1902年 - 1985年)は東京生れの日本画家[1][2][3]。本名は求。
略歴
[編集]1902年東京生まれ。東京美術学校日本画本科次席卒。1928年より旧制兵庫県立柏原中学校(現兵庫県立柏原高等学校)にて美術教師として勤務。1962年に定年退職するまで一度も異動がなかった。1935年、日本画家堂本印象の画塾東丘社に入塾。1936年、34歳の時に「小憩」で日展初入選。丹波市内に作品を多く残し、兵庫県立柏原高等学校、兵庫県立氷上西高等学校の校章デザインも手がけた。堂本印象のほか、三木翠山にも師事した。1985年逝去。
親族
[編集]弟子
[編集]脚注
[編集]注釈
出典
- ^ “郷土の現代日本画展 親子の系譜”. 植野記念美術館. 2022年7月19日閲覧。
- ^ “堂本印象と東丘社そして山本茂斗萠”. 植野記念美術館. 2022年7月19日閲覧。
- ^ “100歳の女性、18歳の”自分”と再会 82年ぶりにモデル務めた日本画と対面”. 丹波新聞. 2022年9月6日閲覧。