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山本三太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山本 三太郎(やまもと さんたろう、1837年9月17日(天保8年8月18日[1][注釈 1])- 1897年明治30年)2月4日[2][3][注釈 2])は、明治期実業家政治家衆議院議員。旧姓・加藤。幼名・徳次[4]

経歴

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三河国宝飯郡前芝村[1][4]愛知県[2]宝飯郡前芝村[5]を経て現豊橋市前芝町[1][4])で、豪農・加藤六蔵正柔の二男として生まれた[1][4]。15歳で同郡下地村(下地町を経て現:豊橋市下地町)の農業、製油販売業、先代・山本三太郎の養嗣子となる[4]。漢学を大田晴軒に、武術を寺尾大之進に師事した[1]。その後、家督を相続し三太郎を襲名した[4]

1881年(明治14年)荒山防止のため銀行類似会社・保荒社を設立し[1][4]、1882年(明治15年)宝飯銀行の創設に参画し頭取に就任[4]。1894年(明治27年)3月、豊橋米穀取引所が設立されると初代理事長となった[1][4]

戸長を務めた[2][5]。また、愛知県会議員を1880年(明治13年)から1894年(明治27年)まで5期12年10カ月務め[1][2][4][5]、この間、同郡部会副議長、同参事会員に在任[4]。1891年(明治24年)宝飯郡会議員にも就任した[2][4][5]

1894年9月、第4回衆議院議員総選挙(愛知県第10区)で、選挙期間中、山本は名古屋にいて選挙運動を行わなかったが当選し[1][4][6]、衆議院議員に1期在任した[2][5]。議員在任中の1897年に病となり帰郷して[4]同年10月に死去した[3]

国政選挙歴

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親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『郷土豊橋を築いた先覚者たち』28頁では8月4日。
  2. ^ 『郷土豊橋を築いた先覚者たち』29頁では8月7日、『豊橋百科事典』747頁では2月2日。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『豊橋百科事典』747頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』692頁。
  3. ^ a b 『官報』第4077号、明治30年2月5日。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『郷土豊橋を築いた先覚者たち』28-29頁。
  5. ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』481頁。
  6. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』87頁。
  7. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』27頁。
  8. ^ 『豊橋百科事典』148-149頁。

参考文献

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  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 郷土豊橋を築いた先覚者たち編集委員会編『郷土豊橋を築いた先覚者たち』豊橋市教育委員会、1986年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 豊橋百科辞典編集委員会編『豊橋百科事典』豊橋市、2006年。