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山崎一保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山崎 一保(やまざき かずやす、1882年明治15年)5月 - 1944年昭和19年)3月21日)は、日本実業家東洋綿花代表取締役会長や、輸出綿糸布同業会会長を務めた。

人物・経歴

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京都府出身[1]。1904年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業[2][1]三井物産入社[1]。1914年同社大阪支店綿花部副部長。1920年に綿花部が東洋綿花として独立すると、同社常務取締役に就任[1]児玉一造を補佐し、1930年には児玉の後任として専務取締役に就任。同年に児玉が死去すると1934年からは後任として代表取締役会長を務め[3][4][5]輸出綿糸布同業会会長も兼務し、日蘭会商への対応にあたるなどした[6]

親族

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妻幸は、在ベルギー一等書記官外務大臣官房翻訳課長等を務めた竹村本五郎の二女[7]。父は京都の名望家山崎一道[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 日本国勢大観 下巻(人物篇)
  2. ^ 東京商科大学卒業生名簿 昭和16年5月末日現在
  3. ^ 「第四章血盟団事件:またもや暗殺」,田中健之『昭和維新: 日本改造を目指した"草莽“たちの軌跡』学研プラス
  4. ^ 「相場師列伝 フォローする 山崎一保氏 綿花ひと筋、黄金期の参謀 市場経済研究所代表 鍋島高明」 2018/7/14 5:30日本経済新聞 電子版
  5. ^ 「(株)トーメン『翔け世界に : トーメン70年のあゆみ』(1991.02)」渋沢社史データベース
  6. ^ 籠谷直人日蘭会商(1934年6月‐38年初頭)の歴史的意義 ―オランダの帝国主義的アジア秩序と日本の協調外交―」『人文學報』第81巻、京都大学人文科学研究所、1998年3月、1-46頁、CRID 1390009224843745152doi:10.14989/48518hdl:2433/48518ISSN 0449-0274 
  7. ^ 竹村本五郞 (男性)人事興信録データベース(名古屋大学)


先代
児玉一造
東洋綿花会長
1934年 - 1936年
次代
権野健三