山口治郎
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山口 治郎(やまぐち じろう、1919年(大正8年)6月13日[1] - 2008年(平成20年)2月7日[2])は、平成時代前期の政治家。埼玉県行田市長。
経歴
[編集]埼玉県北埼玉郡忍町(現行田市)出身[1]。青年学校卒業[1]。行田市消防長、助役などを経て、1991年(平成3年)5月、行田市長に当選し、3期12年務めた[2]。ものつくり大学の誘致や総合体育館グリーンアリーナの開設、道路交通網や上下水道の整備などに尽力した[2]。
2008年(平成20年)2月7日、急性心不全により死去した[2]。死没日をもって従四位に叙される[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c 日外アソシエーツ 1999, 468頁.
- ^ a b c d “市報ぎょうだ 平成20年3月号”. 行田市. 2020年4月7日閲覧。
- ^ 『官報』第4817号11頁 平成20年4月25日号
参考文献
[編集]- 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。