山内晴氏
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永元年(1704年) |
死没 | 享保7年9月24日(1724年11月9日) |
改名 | 岩千代(幼名)→永氏→恒氏→晴氏 |
別名 | 通称:右膳、靱負 |
主君 | 山内豊常 |
藩 | 土佐藩 |
氏族 | 宿毛山内家 |
父母 | 父:山内倫氏 |
兄弟 | 男子四人、晴氏、郷俊 |
妻 | 山内監物弘佐娘 |
子 |
氏篤 養子:郷俊(実弟) |
山内 晴氏(やまうち はるうじ)は、江戸時代中期の土佐藩の重臣。5代宿毛領主。
略歴
[編集]宝永元年(1704年)、土佐藩奉行職、4代宿毛領主・山内倫氏の五男として高知にて誕生した。
兄達が早世したため嫡男となり、宝永6年(1709年)に倫氏の死去により家督と知行6800石を相続し、5代宿毛領主となる。同年、6代藩主・山内豊隆が江戸から帰国して拝謁する。宝永7年(1710年)、靱負と改名する。享保6年(1721年)、7代藩主・山内豊常により奉行職に任じられる。
享保9年(1724年)9月24日、公務で江戸に下向の途中、大坂で病死する。享年21。嫡男の氏篤は幼少のため、実弟の郷俊が養子となって家督を相続した。
系譜
[編集]出典
[編集]- 宿毛市史編纂委員会「宿毛市史」
- 東京大学史料編纂所「土佐国羣書類従」