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山之内 仰西(やまのうち こうさい、元和5年(1619年) - 元禄11年1月26日(1698年3月8日))は、江戸時代前期の治水家[1]、商人[2]。名は光実[1]。通称は彦左衛門[1]。屋号は山田屋[1]。仰西は号[2]。
伊予国浮穴郡久万町村(現在の愛媛県上浮穴郡久万高原町)の商人[1]。私財を投じて西明神村南麓の岩をうがち、入野・久万町両村に通じる水路を完成させた[1]。用水路は仰西渠とよばれた[1]。長さ57m、幅2.3m、深さ1.5mあり、下流25haの水田を潤した[3]。