鈴木哲夫 (実業家)
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(山中徹から転送)
鈴木 哲夫(すずき てつお、1924年12月5日 - 2015年6月15日)は、日本の技術者、実業家。HOYA中興の祖・元名誉会長。
人物・経歴
[編集]愛知県瀬戸市生まれ[1]。1943年東京工業大学(のちの東京科学大学)付属高等工業教員養成所卒業。
1944年東洋工学硝子製造所(現HOYA)技術長。1949年同社取締役工場長に昇格。1957年に岳父であり同社創業者の山中茂が病で倒れたため、その跡を受けて代表取締役社長に就任、5年間で売り上げを10倍の20億円に拡大し、社名を保谷硝子に変更、1961年に東証2部に株式上場を果たしたが、昭和40年不況により赤字・無配となり、1967年相談役に降格[2]。
1970年代表取締役社長に復帰[3][4]。1984年に社名をHOYAに改称し、光エレクトロニクスの高収益企業に飛躍させ、同社中興の祖とされる[2]。HOYA代表執行役最高経営責任者の鈴木洋は子[5]。1987年からはニューガラスフォーラム初代会長も務めた[6]。
1993年、創業者山中茂の長男・山中衛に社長を譲って自身は会長に退いたが、2000年に自身の解任とともに衛も解任し、自身の長男・鈴木洋を社長に就任させた[2]。一方で、米国流コーポレートカバナンス(企業統治)に倣い、2003年にHOYAを委員会設置会社に移行し取締役8人のうち社外取締役5人という構成に変えた[2]。この間、1996年から企業研究会会長[7]。
2015年肺炎のため死去。享年90[8]。ホテルニューオータニ鶴の間でお別れの会が行われた[9]。その後、国税庁東京国税局から相続財産約90億円の申告漏れが指摘された[10]。
家族
[編集]- 妻・洋子(1934年生) ‐ HOYA創業者・山中茂の長女。同社共同創業者の山中正一は茂の兄。[11]
- 長男・鈴木洋 ‐ HOYA9代目社長[11]
- 義弟・山中衛(1938-2018) ‐ HOYA8代目社長。早稲田大学大学院商学研究科卒業後ニューヨーク大学大学院留学を経て保谷硝子入社。[11][12]
- 義弟・山中徹(1948年生) ‐ ケンコー・トキナー社長。慶応大学商学部卒業後小西六写真工業を経て1970年にケンコー取締役、1985年同社社長。[13]
出典
[編集]- ^ ビジネス哲学研究会 「[決定版]心に響く名経営者の言葉: 決断力と先見力を高める」
- ^ a b c d あの「剛腕」名経営者の決定的汚点!追い出した創業家と壮絶バトル中に死去Business Journal 2015.08.06
- ^ HOYA第46期有価証券報告書
- ^ 経済界 「君に100の成功を贈る」
- ^ HOYA・鈴木CEO「日本の会社は変わらなきゃ」 日経ビジネス
- ^ 沿 革 ニューガラスフォーラムの歩み ニューガラスフォーラム
- ^ 昭 和
- ^ 「元HOYA社長の鈴木哲夫さん死去」 朝日新聞デジタル2015年6月19日 0時02分
- ^ 元HOYA社長・故鈴木哲夫さんのお別れの会 朝日新聞デジタル2015年7月17日
- ^ HOYA元社長遺族が申告漏れ ロイター通信2021年4月18日
- ^ a b c HOYA山中・鈴木家系図近現代系図ワールド
- ^ 『人事興信録』38版下、山中衛
- ^ 『人事興信録』43版下、山中徹
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