山中八幡宮
山中八幡宮 | |
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拝殿 | |
所在地 | 愛知県岡崎市舞木町宮下8 |
位置 | 北緯34度54分14.61秒 東経137度13分56.38秒 / 北緯34.9040583度 東経137.2323278度座標: 北緯34度54分14.61秒 東経137度13分56.38秒 / 北緯34.9040583度 東経137.2323278度 |
主祭神 | 応神天皇、比咩大神、息長足姫命 |
創建 | 朱鳥14年(699年)9月9日 |
山中八幡宮(やまなかはちまんぐう)は、愛知県岡崎市舞木町宮下にある神社である。祭神は応神天皇、比咩大神、息長足姫命。
歴史
[編集]当地に山中光重という人があり、朱鳥14年(699年)9月9日、宇佐八幡大神の夢のお告げで神霊を迎え、当地に社を建てたのがはじめといわれる。
敷地内に「鳩ヶ窟」(はとがくつ)と呼ばれる洞窟があり、永禄6年(1563年)に起こった三河一向一揆の戦いで、徳川家康が敗れて逃げ隠れた洞窟といわれる。追手の兵がこの中を探そうとしたが、洞窟から白い鳩が2羽飛び立ったので、追手の兵は「人のいる所に鳩などいるわけない」といって通り過ぎ、家康は難をまぬがれたといわれる。その後、この洞窟を鳩ヶ窟といい、このことにより八幡宮の山を御身隠山(おみかくしのやま)と呼ぶようになった。
慶長8年(1603年)8月26日の家康朱印状で180石を寄進された。
寛永11年(1634年)8月23日に3代将軍徳川家光が上洛の際に参拝。
祭事
[編集]毎年1月3日に、五穀豊穣を祈る御田植祭「デンデンガッサリ」が行われる。田遊びの歌詞のはじめに「デェンデンガッサリヤー」という言葉があるので、この名が定着した[1]。起源は室町時代と言われている。昭和初期までは旧暦の1月3日の夜に行われていた。
祭りの準備は、1972年(昭和47年)に設立されたデンデンガッサリ保存会により12月30日に社務所で行われる。このとき祭りで使われる60キロの大鏡餅やお供えの餅が作られる。
大鏡餅の重さに耐えかねた牛役が倒れると、人々は「丈夫な牛でも倒れるほどの豊作だ」と言って喜び合う。この牛が神前から姿を消した後、大鏡餅は手頃な大きさに切られ、見物人に対し餅投げが行われる。この餅を食べると1年間風邪をひかないという言い伝えがある[2]。
2019年(令和元年)5月8日、デンデンガッサリは、令和元年度あいち文化遺産保存活用推進事業「伝統文化出張講座」の一つに選ばれた[3]。同月から5年生の児童37人はデンデンガッサリの練習を開始。同年10月12日に行われる八幡宮例大祭の演芸祭に出演し、成果を披露する予定[4][5]。
文化財
[編集]以下の物件が市の文化財に指定されている[6]。
指定名称 | 種別 | 指定年月日 | 備考 |
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乱舞面 | 工芸品 | 1976年(昭和51年)3月31日 | 松平広忠が寄進した能面。室町時代作といわれる。 |
山中八幡宮のヒメハルゼミ生息地 | 天然記念物 | 1982年(昭和57年)9月8日 | |
山中八幡宮のクスノキ | 天然記念物 | 1985年(昭和60年)3月6日 | 樹齢650年といわれる。根回り14メートル。当社の御神木。 |
デンデンガッサリ | 無形民俗文化財 | 1972年(昭和47年)7月5日 |
自然環境保全地域
[編集]2004年(平成16年)2月27日、ルリミノキ、オオフユイチゴなどの群落を有する山中八幡宮の森(5.5ヘクタール)が愛知県自然環境保全地域に指定された。丘の東側斜面の植生はツブラジイの天然生林を主とする。西側斜面はヒノキ植林地となっている[7]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ “デンデンガッサリ”. 岡崎おでかけナビ. 岡崎市観光協会. 2022年1月5日閲覧。
- ^ “第2章02 東海道を舞台にした信仰・祭礼等にみる歴史的風致” (PDF). 岡崎市歴史的風致維持向上計画. 岡崎市. 2022年6月3日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “令和元年度あいち文化遺産保存活用推進事業「伝統文化出張講座」を開催します”. 愛知県庁 (2019年5月8日). 2019年9月29日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 土屋あいり「デンデンガッサリ 岡崎の伝統芸能 来月12日発表 山中小5年修得中」 『中日新聞』2019年9月27日付朝刊、西三河版、21面。
- ^ “山中小学校 デンデンガッサリを演芸祭で披露します。”. 岡崎市役所 (2019年9月6日). 2019年9月29日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “岡崎市指定文化財目録”. 岡崎市ホームページ (2020年9月8日). 2021年7月19日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 愛知県自然環境保全地域 山中八幡宮
参考文献
[編集]- 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、404 - 405頁。