山下村
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やましたむら 山下村 | |
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廃止日 | 1955年2月1日 |
廃止理由 |
新設合併 山下村、坂元村 → 山元町 |
現在の自治体 | 山元町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 亘理郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 36.12 km2. |
総人口 |
11,527人 (『宮城県町村合併誌』、1955年1月31日) |
隣接自治体 |
亘理郡:吉田村、坂元村 伊具郡:角田町 |
山下村役場 | |
所在地 | 宮城県亘理郡山下村浅生原字南山下47 |
座標 | 北緯37度57分51秒 東経140度52分48秒 / 北緯37.96411度 東経140.88008度座標: 北緯37度57分51秒 東経140度52分48秒 / 北緯37.96411度 東経140.88008度 |
ウィキプロジェクト |
山下村(やましたむら)は、昭和30年(1955年)まで宮城県亘理郡の中南部にあった村。現在の亘理郡山元町北部にあたる。
地理
[編集]- 山:四方山 (274m)
歴史
[編集]和名類聚抄』に見える菱沼郷が、ほぼ山下村域にあたると見られている。永享2年(1430年)にこの地に建立された山上院悠山寺(山寺)の下に在るのというのが、山下という名の由来である。鎌倉時代から戦国時代までは亘理氏の支配下にあり、菱沼氏・山寺氏・鷲足氏・大平氏などの亘理氏麾下の土豪が館を構え、小平には亘理宗隆の隠居城・小平城があった。
沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、八手庭村、大平村、小平村、鷲足村、山寺村、浅生原村及び高瀬村の区域をもって山下村が発足する。村名は陸前浜街道の宿駅・山下宿に由来する。
- 昭和30年(1955年)2月1日 - 山下村及び坂元村が合併し、山元町が発足する。
行政
[編集]首長
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 中村彬 | 明治22年(1889年)5月2日 | 明治25年(1892年)10月10日 | |
2 | 星保三郎 | 明治25年(1892年)10月26日 | 明治29年(1896年)3月30日 | |
3 | 伊藤古三郎 | 明治29年(1896年)5月23日 | 明治29年(1896年)10月28日 | |
4 | 永谷恭三郎 | 明治30年(1897年)3月19日 | 明治34年(1901年)7月10日 | |
5 | 平田源吉 | 明治34年(1901年)8月12日 | 明治42年(1909年)8月10日 | |
6 | 岩佐市郎 | 明治42年(1909年)8月11日 | 大正6年(1917年)3月31日 | |
7 | 千石順平 | 大正6年(1917年)7月31日 | 大正10年(1921年)7月30日 | |
8 | 斎藤忠一郎 | 大正10年(1921年)8月20日 | 昭和2年(1927年)7月25日 | |
9 | 清野善四郎 | 昭和2年(1927年)8月10日 | 昭和6年(1931年)8月9日 | |
10 | 森市太郎 | 昭和6年(1931年)8月20日 | 昭和9年(1934年)11月10日 | |
11 | 萩野栄智 | 昭和9年(1934年)11月16日 | 昭和10年(1935年)12月3日 | |
12 | 今野吉左衛門 | 昭和10年(1935年)12月9日 | 昭和19年(1944年)8月4日 | |
13 | 星正平 | 昭和19年(1944年)8月27日 | 昭和21年(1946年)6月15日 | |
14 | 平田源助 | 昭和21年(1946年)9月9日 | 昭和23年(1948年)12月2日 | |
15 | 菅野長三郎 | 昭和23年(1948年)12月30日 | 昭和27年(1952年)12月29日 | |
16 | 橋元義雄 | 昭和27年(1952年)12月30日 | 昭和30年(1955年)1月31日 |
地域
[編集]人口
[編集]1920年 | 6,614人 | |
1925年 | 7,068人 | |
1930年 | 7,346人 | |
1935年 | 7,567人 | |
1940年 | 8,148人 | |
1947年 | 10,931人 | |
1950年 | 11,527人 |
※国勢調査による
教育
[編集]- 山下村立山下小学校
- 山下村立山下第一小学校
- 山下村立山下第二小学校
- 山下村立山下中学校
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]参考文献
[編集]- 『山元町誌』(宮城県亘理郡山元町、1971年)
- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958年)