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山下村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やましたむら
山下村
廃止日 1955年2月1日
廃止理由 新設合併
山下村坂元村山元町
現在の自治体 山元町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
亘理郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 36.12 km2.
総人口 11,527
(『宮城県町村合併誌』、1955年1月31日)
隣接自治体 亘理郡吉田村坂元村
伊具郡角田町
山下村役場
所在地 宮城県亘理郡山下村浅生原字南山下47
座標 北緯37度57分51秒 東経140度52分48秒 / 北緯37.96411度 東経140.88008度 / 37.96411; 140.88008座標: 北緯37度57分51秒 東経140度52分48秒 / 北緯37.96411度 東経140.88008度 / 37.96411; 140.88008
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山下村(やましたむら)は、昭和30年(1955年)まで宮城県亘理郡の中南部にあった村。現在の亘理郡山元町北部にあたる。

地理

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歴史

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和名類聚抄』に見える菱沼郷が、ほぼ山下村域にあたると見られている。永享2年(1430年)にこの地に建立された山上院悠山寺(山寺)の下に在るのというのが、山下という名の由来である。鎌倉時代から戦国時代までは亘理氏の支配下にあり、菱沼氏・山寺氏・鷲足氏・大平氏などの亘理氏麾下の土豪が館を構え、小平には亘理宗隆の隠居城・小平城があった。

沿革

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  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、八手庭村、大平村、小平村、鷲足村、山寺村、浅生原村及び高瀬村の区域をもって山下村が発足する。村名は陸前浜街道の宿駅・山下宿に由来する。
  • 昭和30年(1955年)2月1日 - 山下村及び坂元村が合併し、山元町が発足する。

行政

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首長

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  • 歴代村長
氏名 就任 退任 備考
1 中村彬 明治22年(1889年)5月2日 明治25年(1892年)10月10日
2 星保三郎 明治25年(1892年)10月26日 明治29年(1896年)3月30日
3 伊藤古三郎 明治29年(1896年)5月23日 明治29年(1896年)10月28日
4 永谷恭三郎 明治30年(1897年)3月19日 明治34年(1901年)7月10日
5 平田源吉 明治34年(1901年)8月12日 明治42年(1909年)8月10日
6 岩佐市郎 明治42年(1909年)8月11日 大正6年(1917年)3月31日
7 千石順平 大正6年(1917年)7月31日 大正10年(1921年)7月30日
8 斎藤忠一郎 大正10年(1921年)8月20日 昭和2年(1927年)7月25日
9 清野善四郎 昭和2年(1927年)8月10日 昭和6年(1931年)8月9日
10 森市太郎 昭和6年(1931年)8月20日 昭和9年(1934年)11月10日
11 萩野栄智 昭和9年(1934年)11月16日 昭和10年(1935年)12月3日
12 今野吉左衛門 昭和10年(1935年)12月9日 昭和19年(1944年)8月4日
13 星正平 昭和19年(1944年)8月27日 昭和21年(1946年)6月15日
14 平田源助 昭和21年(1946年)9月9日 昭和23年(1948年)12月2日
15 菅野長三郎 昭和23年(1948年)12月30日 昭和27年(1952年)12月29日
16 橋元義雄 昭和27年(1952年)12月30日 昭和30年(1955年)1月31日

地域

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人口

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1920年 6,614人
1925年 7,068人
1930年 7,346人
1935年 7,567人
1940年 8,148人
1947年 10,931人
1950年 11,527人

国勢調査による

教育

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交通

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鉄道

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道路

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参考文献

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  • 『山元町誌』(宮城県亘理郡山元町、1971年)
  • 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958年)

関連項目

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