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尾三自動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初期の尾三自動車

尾三自動車(びさんじどうしゃ)は、かつて現在の愛知県豊田市に本社があったバス会社で、愛知県内で最初の本格的なバス会社とされる。通称:尾三バス

歴史

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浦野謙朗[1]を発起人とし、本多松三郎[2]、宮川幾太郎らによって1913年大正2年)に平戸橋 - 名古屋間のバス路線の営業が開始された。

営業成績が好調だったことから翌1914年(大正3年)には本多を社長とし尾三自動車株式会社が設立され、本社は猿投村越戸(現在の豊田市平戸橋町)に置かれた[3]1930年昭和5年)には営業許可24路線(総延長距離720km)車両保有台数36台を誇る愛知県下最大のバス会社となり、名古屋-挙母間、挙母 - 岡崎間、瀬戸小原・田口(設楽町)などに路線を広げている[4]

その後1933年(昭和8年)に自動車交通事業法施行により、愛知県においても乱立状態であったバス事業者の統合が進む中、尾三自動車もいくつかのバス会社を合併した。後に三河鉄道と愛知電鉄(名古屋鉄道)の間で買収合戦が繰り広げられた結果、1937年(昭和12年)2月に名古屋鉄道[5]の傘下となった。買収価格は資本金7万5千円に対し37万5千円であった[6]

折しも同じ年の1937年(昭和12年)7月に勃発した日中戦争により1938年(昭和13年)には陸上交通事業統制法、1941年(昭和16年)には陸運統制令が施行、時世は徐々に事業者の統合へと流れ、1943年(昭和18年)に名鉄自動車(後の名鉄バス)と合併、会社としての歴史を終えた。

年表

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  • 1912年明治45年) - 宮川幾太郎が平戸橋(現在の豊田市平戸橋町波岩) - 名古屋市東田町(現在の名古屋市東区東桜)間の路線の営業許可を申請。
  • 1913年大正2年)8月18日 - 許可を受け事業を開始 。
  • 1914年(大正3年)
    • 8月31日 - 東田町 - 赤池 - 米野木 - 越戸 - 挙母間開業[4]
    • 9月22日 - 尾三自動車株式会社を設立[7]
  • 1937年昭和12年)2月 - 名古屋鉄道の傘下に入る(社長藍川清成[8])。
  • 1938年(昭和13年) - 名鉄自動車・南信自動車との共同運行により、名古屋 - 飯田間の直通バス路線の運行を開始(名飯急行バス)。
  • 1941年(昭和16年)8月31日 - 名飯急行バス、ガソリン統制により休止。
  • 1943年(昭和18年) - 名鉄自動車と対等合併。

参考書籍・資料

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  • 豊田市近代の産業とくらし発見館 企画展『尾三バス、走る!』展示資料より

脚注

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  1. ^ 1882年 - 1964年、西加茂郡四郷村(現在の豊田市四郷町)出身、衆議院議員
  2. ^ 1862年 - 1941年、花本村(現在の豊田市花本町)出身、県会議員
  3. ^ 大正4年愛知県下の自動車所有者『全国自動車所有者名鑑. 大正4年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ a b 1934年時の路線路線1路線2『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 1935年に愛電と名岐が合併し、名古屋鉄道となった。
  6. ^ 『名古屋鉄道社史』435-436頁
  7. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 『日本全国銀行会社録. 第46回(昭和13年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)