コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

尼崎市立大庄小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尼崎市立大庄小学校
地図北緯34度43分19秒 東経135度23分30秒 / 北緯34.721944度 東経135.391667度 / 34.721944; 135.391667座標: 北緯34度43分19秒 東経135度23分30秒 / 北緯34.721944度 東経135.391667度 / 34.721944; 135.391667
過去の名称 西新小学校
成文小学校
成文尋常小学校
武庫郡村立大庄尋常小学校
武庫郡村立大庄尋常高等小学校
大庄村立大庄国民学校
尼崎市立大庄国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 尼崎市
設立年月日 1876年/1902年
創立記念日 12月2日
創立者 武庫郡大庄村
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B128210001748 ウィキデータを編集
小学校コード 11131463
所在地 660-0075
兵庫県尼崎市大庄中通四丁目43番地
外部リンク http://www.ama-net.ed.jp/school/E16/
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示
北校舎 1933年(昭和8年)新築・1935年(昭和10年)増築
南校舎 1936年(昭和11年)に建設された中央および東部分。

尼崎市立大庄小学校(あまがさきしりつ おおしょうしょうがっこう)は、兵庫県尼崎市大庄中通四丁目にある公立小学校

かつては日本有数のマンモス校だったこともあるが、少子化による児童数減少が進み、尼崎市教育委員会の 尼崎市立小・中学校 適正規模・適正配置推進計画 では尼崎市立成徳小学校との統合が提案されていたが、尼崎市立成徳小学校が平成22年度に適正規模となったため、計画から削除された。

沿革

[編集]

大庄村成立以前

[編集]
  • 1873年明治6年) - のちの兵庫県武庫郡大庄村となる地域[注 1]の各村に、西新小学校(西新田村)・東新小学校(東新田村)・西島小学校(西大島村)・今北小学校(今北村)の4校が開校[1]
  • 1876年(明治9年)7月 - 上記4校を統合し、西新小学校とする(小学校区第25番区)。
  • 1878年(明治11年)1月 - 校舎を新築し、成文小学校(初代)と改称。
  • 1881年(明治14年) - 戸長役場(のちの大庄村役場)移転、教室増築。
  • 1885年(明治18年)4月 - 学制改正により尋常科4ヶ年となる。成文尋常小学校と改称。

大庄村立時代

[編集]
  • 1901年(明治34年)4月 - 大庄村立大庄尋常小学校と改称。
  • 1902年(明治35年)
    • 4月1日 - 高等科および裁縫科を併設。大庄尋常高等小学校と改称。
    • 12月2日 - 当時の大庄村のほぼ中央となる現在地へ移転。開校式を行う。以後この日を創立記念日と定める。
  • 1916年大正5年) - 講堂竣工。阪神間一の規模と称されたという。
  • 1923年(大正12年)11月 - 講堂南側に2階建校舎を新築。
  • 1933年昭和8年)8月29日 - 北校舎北側に鉄筋3階建を新築(現・北校舎西側)。
  • 1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風。2階建校舎が倒壊するなど校舎に大きな被害を受ける。登校前・登校後合わせて6名の児童が死亡。
  • 1935年(昭和10年)12月31日 - 鉄筋3階建増築(現・北校舎東側)。
  • 1936年(昭和11年) - 尋常科45学級、高等科6学級。児童総数2,457名。阪神間最大の児童数を有する。
    • 11月 - 南木造校舎の東を撤去し、鉄筋3階建を新築(現・南校舎中央および東側)。2階に舟型窓の講堂等が設けられる。
  • 1937年(昭和12年)7月 - 大庄村役場が本校西隣へ移転(建物は大庄公民館として現存)。
  • 1936年(昭和13年) - 尋常科53学級、高等科8学級。児童総数3,335名。日本最大の児童数となる。二部授業を実施。
    • 12月 - 運動場を拡張。
  • 1939年(昭和14年)
    • 4月 - 大庄第二尋常小学校(後の西小学校)を分離。
    • 9月 - 大庄村役場跡を改造し教室化。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、大庄第一国民学校と改称。大庄第三国民学校(現・大島小学校)を分離。

尼崎市立時代

[編集]
  • 1942年(昭和17年)2月10日 - 大庄村が尼崎市へ編入されたのに伴い、尼崎市立大庄国民学校と改称。
  • 1944年(昭和19年) - 学校集団疎開実施校に指定され、縁故疎開以外の児童約300名が学童疎開第一陣として県内多可郡へ出発。
  • 1945年(昭和20年)3月 - 尼崎空襲
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 六・三学制発足により、大庄小学校に改称。大庄中学校分校を併設。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 大庄中学校本校が大庄小学校へ移転。教室不足により二部授業を実施。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 大庄中学校が東西2校に分かれる。この内、大庄東中学校は大庄小学校敷地から大庄小学校農園へ移転。
  • 1950年(昭和25年)
    • 4月 - 小学校内に残っていた大庄西中学校分校が完全移転。
    • 4月1日 - 大庄幼稚園併設。
    • 9月3日 - ジェーン台風により、校舎が床上浸水。
  • 1951年(昭和26年) - この時点で62学級、児童数3,335名。国内でも屈指のマンモス校となる。
    • 3月 - 大庄幼稚園を役場跡へ新築。
  • 1953年(昭和28年)1月1日 - 成徳小学校を分離。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 成文小学校を分離。
  • 1962年(昭和37年)6月21日 - プール新設、プール開き。
  • 1965年(昭和40年)5月31日 - 集団赤痢発生。
  • 1967年(昭和42年)3月 - 南木造校舎撤去、鉄筋校舎増築(現・南校舎西側)。
  • 1971年(昭和46年)
  • 1972年(昭和47年)12月1日 - 創立百年記念式典を挙行[1]
  • 2005年平成17年)2月 - 校舎外壁塗替え完了[2]
  • 2016年平成29年)- 耐震工事、全教室にエアコンの設置完了。

通学区域

[編集]
  • 尼崎市
    • 大庄川田町(1番~72番)、菜切山町(1番~4番・12番~53番)、琴浦町(2番・3番・6番~11番・16番~113番)、水明町、大庄中通1丁目~5丁目、大庄西町1丁目、大庄西町2丁目(1番~4番・2番の一部)、大庄西町3丁目・4丁目
卒業生は基本的に尼崎市立大庄中学校へ進学する。

周辺

[編集]
大庄村道路元標

アクセス

[編集]

通学区域が隣接している学校

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 行政区画としての武庫郡は1879年(明治12年)に発足、大庄村は1889年(明治22年)に成立。

出典

[編集]

参考文献

[編集]
  • 『大庄小学校創立100年記念誌 懐古』大庄小学校創立百年記念行事実行委員会、1973年1月1日。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]