尹致旺
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人物情報 | |
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生誕 |
1895年2月17日 韓国漢城府 |
死没 | 1982年12月21日 (87歳没) |
出身校 | 京都帝国大学・ |
学問 | |
研究分野 | 医学(産婦人科)・グラスゴー大学 |
学位 | 医学博士 |
尹 致旺(ユン・チワン、朝鮮語: 윤치왕、1895年2月17日 - 1982年12月21日)は、韓国の産婦人科医師、軍医である。朝鮮戦争時、彼は軍医官として在職し軍医官を教育、育成した。尹雄烈の庶子であり政治家である尹致昊の異母弟。字は「聖雲」、号は「南圃」。日本名は「伊東致旺」。
経歴
[編集]1895年、漢城府生まれ。京都帝国大学で学び、1930年8月5日、京都帝国大学大学院で医学博士号を取得(産婦人科分野)。また、グラスゴー大学大学院 医学修士(産婦人科分野)。 1949年8月18日、陸軍本部医務監となる(~1953年9月5日)。[1]。
1953年5月16日、少将に任ぜられる[2]。1956年11月より、第2軍管区司令官[3]。1959年3月、退役した[4]。
親族
[編集]朝鮮時代の領議政の尹斗寿の子孫である。尹得実は曽祖父、尹取東は祖父[5]、元大韓帝国軍務大臣・法務大臣の尹雄烈は父、尹英烈は叔父、元貴族院朝鮮台湾勅選議員・朝鮮総督府中枢院顧問の尹致昊は兄、元駐イギリス公使の尹致昌は弟、元朝鮮総督府中枢院賛議の尹致旿、元朝鮮総督府中枢院参議の尹致昭、元日本軍騎兵中佐の尹致晟、尹致昞、尹致明、元内務部長官の尹致暎は従兄弟。尹然善は息子、元内務部長官の張錫潤は娘婿[5]、元農林部長官の尹永善は甥、元ソウル大学校総長の尹日善、元満洲国間島省次長の尹明善、元大統領の尹潽善、そして尹源善、尹沢善[6]は従甥である[7][8]。
著書
[編集]- 『月経痛』
- 『国家と国民の健康』
出典
[編集]- ^ “호국전몰용사공훈록 제5권(창군기)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. pp. 593. 2019年11月12日閲覧。
- ^ “元 少將, 中將으로” (朝鮮語). 부산일보. (1953年5月29日) 2019年11月19日閲覧。
- ^ “尹致旺 少將 任命” (朝鮮語). 부산일보. (1956年11月18日) 2019年11月19日閲覧。
- ^ “政府人事” (朝鮮語). 부산일보. (1959年3月21日) 2019年11月19日閲覧。
- ^ a b “윤치왕(尹致旺)”. 한국역대인물 종합정보 시스템 - 한국학중앙연구원. 2023年10月28日閲覧。
- ^ “윤치소(尹致昭)”. 한국역대인물 종합정보 시스템 - 한국학중앙연구원. 2023年10月28日閲覧。
- ^ “대통령·장관·서울대총장…대이어 ‘지배 엘리트’” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2009年8月14日). 2023年10月28日閲覧。
- ^ “'3·1운동도 비난'…문창극이 옹호한 '친일파' 윤치호”. 노컷뉴스 (2014年6月16日). 2023年10月27日閲覧。
外部リンク
[編集]- 尹致旺
- 군진의학의 토대를 다진 - 윤치왕 의사신문 2011年07月 07日
- 윤치왕의 생애와 의료 활동
- 尹致旺
- 고 윤치왕 교수/곽현모 명예교수 대한의학회 명예의 전당 헌정 (657호):연세의료원 소식
軍職 | ||
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先代 朴東均 |
大韓民国陸軍本部医務監 第3代:1949.8.18 - 1953.9.5 |
次代 申鶴鎮 |