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尚侍家中納言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
後嵯峨院中納言典侍 - 寛文年間 清原雪信

尚侍家中納言(ないしのかみけちゅうなごん、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人女房三十六歌仙の一人。藤原北家高藤流右大弁藤原光俊(葉室光俊・法号真観)の娘、藤原親子(ふじわらのちかこ、または、ふじわらのしんし)。共に勅撰歌人である大僧都定円、鷹司院帥は兄弟姉妹。後嵯峨院中納言典侍(ごさがいんのちゅうなごんのてんじ)[* 1]とも呼ばれた。

経歴

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後嵯峨天皇典侍として出仕、父光俊や正三位知家(藤原知家)らと共に、御子左派への対抗勢力を形成。『続後撰和歌集』以降の勅撰集歌合等に作品を残している。1278年(弘安元年)の『弘安百首』を詠進しており、この時点で健在だったことがわかる。

逸話

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  • 知家をはじめとする六条藤家と父光俊らが中心となって催行し、「反御子左派の旗あげ」[1]とも言われる『春日若宮社歌合』に参加し、勝2持1の評価を得た。

  左 勝                    尚侍家中納言
ふみつくる跡見まほしき人はこで さもいたづらにつもる雪かな

— 『春日若宮社歌合』 雪 十二番

作品

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勅撰集
歌集名 作者名表記 歌数 歌集名 作者名表記 歌数 歌集名 作者名表記 歌数
続後撰和歌集 尚侍家中納言  3 続古今和歌集 中納言 10 続拾遺和歌集 典侍親子朝臣  9
新後撰和歌集 典侍親子朝臣  6 玉葉和歌集 典侍藤原親子朝臣  1 続千載和歌集 典侍親子朝臣  2
続後拾遺和歌集 典侍親子朝臣  1 風雅和歌集 新千載和歌集 典侍親子朝臣  1
新拾遺和歌集 典侍藤原親子  1 新後拾遺和歌集 新続古今和歌集 後嵯峨院中納言  1
定数歌歌合
名称 時期 作者名表記 備考
春日若宮社歌合 1246年(寛元4年)12月 尚侍家中納言 「中納言弟」と番い勝2持1
九月十三夜百首歌合 1256年(建長8年) 院中納言
八月十五夜歌合 1265年(文永2年)
弘安百首 1278年(弘安元年)
私家集
  • 家集は伝存しない。

脚注

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注釈

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  1. ^ 弁内侍日記』『増鏡』の後深草天皇の記事中に「中納言典侍」という女官が登場するが、『弁内侍日記』では「実家卿女」と注されているので別人か。

出典

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  1. ^ 藤川(参考文献)

参考文献

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関連項目

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